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チベットの旗

旅行記:チベット(世界自然旅)

38.僧侶との語らい (2004/10/18:晴

 ジョカン突入

 ラサに来て10日経ったが、まだ次の見通しは立たないままだったので、今日も近場を観光する。ポタラ宮に続いてはやはりジョカンだろうと思い、早朝に出立。バルコルを軽くコルラして入口に向かうと、既に大勢のチベタンが待ち構えていて、大混雑であった。

 しかし、入場券売り場には誰もおらず、チケットを買うことができない。せっかく払おうと思っているのに、どうしよう…と、ここで開門となり、たちまち押すな押すなの大騒ぎになった。こうなったら一か八かで突入だ!

 門の前では警官が待ち構えており、次々と不法入場を試みた外国人を検挙している(中国人も捕まっている)。私も捕まるのか、と思いつつ押されていくと、なぜかお咎めもなく通過。これはラッキー、と中に走っていくと、大中庭に迫ったところで、中にいた警官に捕獲されてしまった。あと一歩だったが仕方ない…しかし、早く中に入りたいのに、チベタンの入場が収まるまで券を売ってくれず、おかげで大行列になってしまった。

 そこで行列の最後に並ぶが、しばらくすると警官が現れ、これは正しい列ではないからどけと、列もろとも追い払われてしまう。さらに奥へと逃れると、今度はまた私だけ、別のところに連れ出そうとし始めた。わけがわからなかったので、ひたすら拒否すると、しまいには警官も諦めて消えてしまい、チベタンとともに列に並ぶことができた。

 行列は渋滞し、なかなか前に進まなかったが、1時間ほどしてようやく入口に到達。そして、ここからは数珠繋ぎのようになって入っていくと、薬師如来、十一面観音像と現れ、次々とお参りしていく。院内はチューメ(バター灯)で輝らされ、一種独特の雰囲気だ。よく見ると、外国人もいつの間にか見学しているが、彼らには別の入場システムがあるらしく、この列には加わらずに遠巻きに見ている。なるほど、だから列から引き離そうとしたのか。

 その後も列は続き、本尊の釈迦牟尼像ではほとんど流れ作業で参拝したが、ここを過ぎると列はなくなり、後は自由に動けるようになった。やれやれ、これで混雑から解放されたので、2階も含めて全堂をゆっくり見て回り、どうにか参拝を終えるのであった。

Jokhang Park
ジョカン前の広場

 僧坊にお邪魔

 朝のイベントで結構疲れてしまったが、まだお昼前だったので、続いては郊外にあるデプン寺(哲蚌寺)を目指す。ちょうどジョカン前の広場からミニバスが出ているので、それに乗って西へ10kmあまり。意外にあっさりと寺の麓まで来ることができた。

 すると、ここで昨夜知り合った日本人2人と遭遇した。そう言えば、彼らは今日、寺で知り合った僧侶を訪ねると言っていたが、こうもばったり会うとは…話の流れ上、私も一緒に行くことになったが、これは思わぬ展開だ。

 30分ほど歩き、寺が見えてきたところで、裏口に周り込んで僧侶のいる僧坊に向かう。メモを頼りに、場所を尋ねながら歩いていくと、首尾よく僧侶と会うことに成功。そして、そのまま中に案内された。

Drepung Monastery
デプン寺

 僧坊内は質素な作りであったが、招かれた部屋は結構立派に飾られていた(普通の部屋とあまり変わらない)。すると、さっそくカタ(シルクの布)で歓迎してくれ、首飾りなどをいただく。突然の訪問だというのに…これには感謝感激だ。

 続いてはバター茶を振舞われる。以前徳欽で飲んだものよりキツメで、独特の風味に少々たじろいだが、飲めない味ではない(でも、進んで飲もうとも思わない)。さらにツァンパも登場し、自分でこねてみるが、こちらは思うようにいかず苦戦。しかも、あまりに素朴な味で、美味しいとは言い難い…でも、その後出された炒め野菜は美味しく、白米も出て、お腹は十分に満たされた。

 僧侶は若干の英語を話せるので、英語と漢字(筆談)を混ぜながらの会話となる。いきなり写真の束を見せられ、北京を旅行したものや、近場を旅行したものなどがたくさんある。意外にもひょうきんな様子で、おどけたポーズを取ったりしている。チベットの僧は結構フランクだと聞いていたが、なるほど、こういうことか。

Lamas at Drepung
僧坊にお邪魔した

 しかし、それも中国のチベット支配の話になると別である。彼らの身の危険も考えないといけないので、あまり具体的には書けないが、やはり中国人(漢民族)のことは良く思っていないようだ。1950年代のチベット動乱と文化大革命により、チベットの仏教寺院は多大な被害を受け、高僧の多くはインドに亡命したまま。今だに民族浄化の動きが見られ、チベット政府が選んだパンチェン・ラマ11世も幽閉されているというのだから、それも当然だろう。

 チベタンは本来たくましく、優しい人たちだと言って良い。しかし、その精神は次第に歪められ、中国に同化しないと生きていけない状態になっている。たとえ不満があっても、それを口にしたとたん牢屋行きとなるので、皆黙ってやり過ごすしかない…それがチベットの実情なのだ。日本人に対しては、いちおう同じ仏教徒として親近感を持ってくれているようだが、中国政府という巨大な力の前では、救いの手を差し伸べることができない。それが非常にもどかしい…

 動きが取れず…

 こうして夕方近くまで(たどたどしい)会話が弾み、ついにお別れとなった。帰りは耕運機タクシーで麓まで下り、後はミニバスに乗ってラサ市街へと戻っていった。

 しかし、ツアーの方は相変わらず進展がなく、動きの取れない状態が続いていた。もちろん、何もしなかったわけではない。前回の反省を踏まえて、その後いくつかの旅行会社と折衝し、日程の改善も図ったし、コストもランクルの年式により、2,000~4,000元も削減できるようになった(オフ・シーズンの影響もある)。日本人の旅行者にも声をかけてみた。が、それでもダメなのだ。

 同室の人たちはすっかり仲良くなって、一緒に名刹巡りをしたり、買い物に出かけたりしている。人数が多いので独自にツアーを組み、ヤムドク湖やプマユムツォ(普莫雍錯)にも行くようだ(プマユムツォについては結局、パーミットの問題で不可となったが)。中にはカムパをナンパしたりと、それぞれに旅を満喫しているようで、羨ましい限りである。

 だが、あまり悠長に構えているわけにはいかない。早くしないと、カイラスなどが雪で閉ざされてしまうので、もはや猶予はないのだ。後数日動きがなければ、中国で留学していた人にお願いして、アリ行のバスのチケットを取ってもらうか、いっそ西チベットは諦めて、ネパールに向けて南下するか…決断の時はそこまで迫っていた。

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