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チベットの旗

旅行記:チベット(世界自然旅)

34.行き先変更 (2004/10/10-11:晴時々曇

 ポタラの威容

 ラサ入りから4日目、10日になってようやく晴天に恵まれた。これは絶好のお出かけ日和ということで、さっそく同室の日本人とポタラ宮(布達拉宮)に向かう。これまで曇天の中で冴えない姿をさらしていたが、晴れると輝きが増し、チベットの象徴であることを実感。さすがは世界最大級の宮殿だ。

 宮殿の周りまで歩くと、そこには宮殿をコルラしたり、五体投地するチベタンが大勢いる。数日前までは赤い横断幕が掲げられていたらしいが、国慶節が終わったため、ようやく目障りなものが外され、本来の姿を見せてくれる。工事中の箇所がやや気になるものの、ポタラ宮広場まで来れば、全景を正面から眺めることができる。その迫力は想像以上であった。

View of Potala Palace
壮麗なるポタラ宮

 しかし、どうせ見るなら横からの方が良いので、薬王山方面に少々歩き、道沿いのチョルテンの脇に登る。意外に知られていないようだが、ここからの眺めは最高で、マルポリ(紅山)に建てられたポタラ宮をバランス良く望める。澄み切った青空に宮殿が映え、素晴らしい限りである。

Potala Palace
チョルテンからポタラ宮を望む

 ここで十分に展望を楽しんだら、中への入場は100元もするので遠慮し、再び広場に戻っていく。すると、すぐ隣りに池があるので寄り道。ここからは池越しにポタラ宮を望むことができ、なかなかの景観だ。中国人のカメラマンが何人か撮影を行なっていたが、それに紛れ込むようにして撮影することができた。

Potala with pond
池から望むポタラ宮

 虐げられるチベット

 こうして朝の観光を終えたところで、明日の出発を前に会っておきたい人がいた。実は桂林近くの老寨山旅館に滞在中、そのサイトの管理者・加倉さんの存在を知ったのだが、彼がちょうどラサに滞在していたのだ。彼は私より前、2002年の11月から旅を始め、これまでアジアをずっと旅してきている。ラサ到着時にメールでコンタクトを取っていたので、指定された部屋に出向いて面会。軽く挨拶を交わし、ついでに昼食を一緒に食べることになった。

 そして、昼過ぎに改めて同室の男と出向き、3人で食事をする。加倉さんは以前、中国で留学していただけあって中国語がペラペラで、凡人ではわからないような品も注文できる。中華料理は相変わらず白米がまずいものの、おかずは美味しい。人数が多いほど多くの品を味わえるので、皆それぞれ満足の食事であった。

 ところで、ラサには物乞いが非常に多く、食事中でも子供などが現れ、お金をせがんでいく(しかも、妙に積極的なのだ)。いかにもみずぼらしい人が多いのは、チベット族の虐げられてきた歴史を物語っていると言えよう。

 中国共産党によるチベット侵攻から50年、「自治区」とは名ばかりに、漢民族による支配が続いてきた(一説には100万人以上が虐殺され、現在でも400人以上の政治犯が投獄されているという)。最近では「西部大開発」の名の下に、ますます多くの漢民族が流入し、ラサはすっかり観光地と化している。このうえ、2007年7月に青藏鉄道が開通したら、もうチベットの文化も抹殺されてしまうのではないかと気がかりだ。

 しかし、もっと残念なことは、こうした歴史が正しく教えられていないこと。中国では、前近代的だったチベットを「解放した」とされ、侵攻や虐殺の事実は隠蔽されている。インドに亡命した最高指導者、ダライ・ラマ14世は「反乱危険分子」とされ、写真を飾ることすら許されていないのだ。もちろん、日本の中国侵攻は許されざる行為であったが、それを指摘するのなら、中国もチベット支配の現実に目を向け、人道的な対応をすべきと思うが、どうだろうか。

 ナムツォ解禁!

 さて、これで心置きなく西チベットに行けると思ったら、夕方になってナムツォへの道が開通したとの報が舞い込んできた。何ということ…こうなると俄然、ナムツォに行きたくなる。西チベットまで行ってしまうと、少なく見積もっても半月は戻れないので、その間に雪が積もれば、もう今回は行けなくなってしまうのだ。その可能性は非常に高いので、行くとしたら今しかない。

 そこで翌日、改めて掲示を探し、旅行会社を訪ねてみると、そのうちの1軒でナムツォ行の同行者を募集していた。募集元はフランス人のおばさま2名で、明日にも出かけたいらしい。これはチャンスなので、さっそくコンタクトを取り、リストに加えてもらう。

 そして、夕方に改めて旅行会社を訪ねると、ちょうど2人も現れた。先方の希望は4名(車のチャーターは1台当たりの値段で、通常は4人の客が乗れる)だったが、他に希望者が集まらなかったので、結局3名で行くことに決定。明朝の出発ということで、まずはナムツォに行けることになったわけだ。

 これでアリ行の闇タクシーは止めることになった。もともと、「闇」ということで不安もあった(途中で捕まれば追い返される)し、時間がかかり過ぎるのも気がかりだったので、これは止むを得ない選択だ。ナムツォ、ヤムドク湖経由ネパール行のツアー募集の貼り紙も用意しておいたのだが、これも使う必要がなくなった。問題は、帰ってきて西チベット行の手配を首尾よくこなせるかだが、その前にナムツォを楽しむとしよう。

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