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旅巧館旅行記南米>パタゴニア&南極
南極の旗 アルゼンチンの国旗

旅行記:パタゴニア&南極(世界自然旅)

77.旅の終わりに (2004/2/28-3/1:曇時々晴

 最後に落とし穴

 今回の南極クルーズは、本当に恵まれたと思う。穏やかなドレーク海峡に始まり、南極に来てからも好天の連続で、素晴らしい光景に巡り合うことができた。氷山、海氷、ペンギンと、思う存分眺めることができ、何度も上陸して楽しんだ。高いお金を払っていても、天候は運次第であるだけに、これはもの凄い幸運であろう。

  最後、南極から離れゆく船上でリーダーも認めていたように、ここまで幸運に恵まれることはそうはない。ツアーの段取りも完璧で文句なかったし、これだけ興奮の渦に包まれたのも初めてで、まさに旅の最後にふさわしいものであった。

 しかし、あまりにも素晴らしい旅に酔いしれたせいか、南極を離れるとすっかり油断してしまい、今後の航海のことを忘れていた。考えてみると、これからまた2日かけて、魔のドレーク海峡を縦断しなければならないのだ…

  そんな状態で一夜明けると、徐々に揺れが強くなってきた。これまでまともに船酔いしたことはないし、大したことないと甘く見ていたのだが、まもなく気分が悪くなってきた。慌てて薬を飲んだものの、既に後の祭り。完全にダウンして、ついには袋を持って、トイレに駆け込まざるを得ない。せっかくのビデオ上映会も出席は適わず、ベッドに寝込んで耐えるしかなかった。

  しばらくすると、スタッフが救急室から酔い止め薬を持ってきてくれたので、それを飲んで夜を凌ぐことになる。それにしても、噂ほどひどい揺れではないのに船酔いしてしまうとは…我ながら情けない限りである。

 大陸へ戻る

 翌日になると、薬が効いて多少楽になったものの、まだ完全には回復していない。食事中も、油断していると物が倒れたりするが、これでも穏やかな方だというので、ひどい時に航海したら、きっともの凄くしんどいのだろう。これまで良い面ばかりが際立っていたが、南極旅行の過酷さを(少しばかり)思い知らされることになった。

 それでも、昼過ぎには回復して、揺れにも十分耐えられるようになった。珍しく晴れ間も覗いており、昼過ぎにはホーン岬(Cado de Hornos)が遠望できるまでになっている。いよいよ南米大陸は近い。

  夕方を過ぎるとすっかり波は穏やかになり、もうビーグル水道に入ってきたようであった。そんな中、スライドショーでこれまでの旅の模様を振り返り、ついでにこのQuark Expeditions社の他のツアーの宣伝なども行われた。10倍の値段がする南極1周クルーズは無理にしても、こうなったら是非、死ぬまでにもう一度、今度はロス海側から迫って見たいものである。そして、最後の晩餐を贅沢にいただいたりして、最後まで楽しく過ごした。

 翌朝(3月1日)、6時半に起床した時にはもうウシュアイアに到着していたが、荷物をまとめ、朝食をいただいて、ついに港に降り立つ。多くの人たちは、そのまま空港に行ってしまうようだが、私はウシュアイアで1泊するので、ここでスタッフともどもお別れ。リーダーなどにもお礼を言って、大感動のクルーズは幕を閉じたのであった。

 日本人宿巡り

 さて、これでもう、後は日本に戻るだけなのだが、船や飛行機の遅延も考慮して、これからウシュアイアとブエノス・アイレス(Buenos Aires)に1泊する予定になっていた。それならば、これまで何となく避けてきた日本人宿に泊まってみようと思い、まずはウシュアイアにある上野亭に向かった。

Uenotei
上野亭

 インターネットでメールなどをチェックした後、タクシーで宿に出向くと、宿におばさんがいるだけで閑散としていたが、ちょうど他の宿泊客は出払っているところで、ほぼ満員なのだという。南米では日本人旅行者をあまり見かけなかったが、こんなところに生息していたのか…

  名物の五右衛門風呂に入ってしばらくすると、徐々に客が戻ってきて、夕食の準備が始まった。多数派の女性陣が仕切って進んでいくが、今日は運が良ければウニと紅マスが来るかもしれないという。期待して待っていると、遅くなったが本当に差し入れがあって、極めて豪勢な食事になった。他の人たちは、ウニを待って数日経過したというから、1泊でこんな食事にありつけるとは、何という幸運だろう。そして、そのまま宴会状態に突入し、結局3時過ぎまで盛り上がったのであった(飛行機に乗り遅れるのが怖くて、そのまま徹夜してしまう)。

Sunrise at Ushuaia
ウシュアイアの日の出

 翌日は、奇しくも多くの人が宿を去るというので、日の出を見届けたら、私は空港組として宿を去っていく(本当はもっと泊まりたいが、予定が決まっているので仕方がない)。飛行機は昼の便なので少し待ったが、特段問題なく出発し、あっという間にブエノス・アイレスに飛んでしまった。ここまで北上するとさすがに暖かくて、少し前まで南極にいたとは思えない。街は至極華やかで、少しぶらついてみると、タンゴを踊っている人の姿も見える。いかにもアルゼンチンらしいが、荷物を担いで歩き回るには限界があるので、ほどほどで街歩きは止めにして、日本旅館という宿に向かうことにした。

  こちらは随分郊外にあるので、到着までに随分迷ってしまったが、いざ着いてみると、ご主人はあいにく不在であった。日本人の客は予想以上に多いが、こちらはどうも漫然と過ごしている人が多いようで、あまり印象は良くない。いわゆる「沈没」状態なのだろうか…同室になった人は、結局深夜まで帰ってこず、翌日は昼を過ぎても寝ていて、何をしているのかさっぱりわからなかった。

  こうして最後に日本人宿巡りをしたら、空港に向かい、ブラジルのサンパウロ、アメリカのダラス(Dallas)経由で日本に戻り、無事4ヵ月半の旅を終えたのであった。

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