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旅行記:中国西南部(世界自然旅)

32.徳欽の屈辱 (2004/10/3-4:曇時々晴

 残り2日

 雨崩へのトレッキングを終え、いよいよ最後の目的、梅里雪山を眺める時が来た。5日には帰らないといけないので、残された期間は正味2日。このところ天気に恵まれていないが、もう雨季の末期なので、晴れてくれると期待したい。

 しかし、3日の朝は相変わらずの霧で、何も望めない。昼になって少しは晴れ間が出てきたものの、雪山が見える兆しはない。昨日かなりの雨が降ったことを考えれば止むを得ないが、もう明日に期待をつなぐしかなかった。

 こうなるとやることがないので、部屋にこもって本を読んだりして過ごすが、オーナーとはすっかり顔なじみになったこともあって、食事はスタッフの人たちと一緒に、サービスで食べられるようになった。宿の人は皆チベタンで、もう3泊目ということもあって親切に対応してくれる。話を聞いてわかったのだが、この宿は9月下旬に開館したばかりで、インターネットを使えるようにしたりと、これから施設の充実を図っていくらしい。個人的にはそれよりも、壁を厚くしてくれた方が良いが…(隣りの部屋の音が完全に漏れている)

 そして、翌日になると、天気は昨日よりマシになっていた。朝は霧に覆われていたものの、バスの切符を買いにいった間に青空が広がるようになり、日差しが痛いほどだ。が、肝心の梅里雪山は完全に雲の中で、いまだ姿を見せる気配はない。明日には去らねばならないと考えると、是非とも今日、夕方までに現れて欲しいものである。

 遭難祈念碑にて

 昼食後、外で何やら作業が始まったので、暇つぶしに覗いてみると、宿の名を「山行者部落」に変えるべく、看板を作っているところであった。オーナーは私に、英語で何と訳せばよいかと聞いてくるが、これはなかなか難しい。直訳しても意味がわからないし、かと言って無難な名前にしても、原語の意味が伝わらない。結局知人に聞いて、無難な名前に決めたようだが、あまり役に立てず申し訳なかった。

 と、ここでオーナーが、暇を持て余した私を見て「近くに遭難祈念碑があるので行きましょう」と言い出した。展望台まで歩くと、チョルテンが居並ぶ中、祈念碑はひっそりと設置されていた。

 これは1991年1月、日中合同登山隊が梅里雪山への登頂を試み、17名全員が遭難したのを悼んだものである(この山は処女峰で、まだ誰も登っていない)。碑には遭難者の名前が刻まれているが、よく見ると日本人の名前が全てかき消されているではないか。彼はとっさに「チベットの子供がイタズラした」と誤魔化したが、それが嘘だというのはすぐにわかる。日本人だけ消されているということは、日本のことを良く思わない中国人の仕業か、あるいは聖山への登山を強行したため、それを憎んだ人間の犯行だろう。とにかく、哀悼の念を抱くのみである。

 だが、いくら祈っても、梅里雪山は一向に姿を見せない。朝方よりはだいぶ雲が上がってきたものの、山にかかった雲は全然取れそうにない。オーナー曰く、10月半ばまではこんな天気が続くらしい。まだ少し早かったということか…明朝に最後のチャンスがあるとはいえ、いよいよ追い詰められてしまった。

Meili viewpoint
展望台から望むが…

 屈辱の撤退

 そして翌朝、最後の望みで起床すると、またしても霧に覆われて何も見えない。これでもう、10月に入って毎日雨だ。今年は各地で崖崩れや洪水が頻発するなど、非常に雨が多いが、その影響をもろに受けてしまったのだろうか…

 これまで、タスマニアの奇峰やロブソン山(カナディアン・ロッキー最高峰)、デナリ(北米最高峰)、オーロラ、ギアナ高地、アコンカグア(南米最高峰)、パタゴニアの岩峰、南極、アルプスの山々など、困難と思われたものもことごとく眺めてきただけに、屈辱的に悔しい。今回はもう撤退せざるを得ないが、こうなったら近い将来、必ずや戻ってきて、今度は巡礼路を半月かけて歩いてみたい。いや、きっと歩いてみせよう。

 この日は親戚の人たちが来ていて賑やかだったが、最後にバター茶をいただき(悪名高い代物だが、思ったより問題なかった)、別れを告げる。そして、バスに延々運ばれて、夜には無事香格里拉に到着。予約しておいた迪慶藏地国際青年旅舎に入ると、さすがに中国人観光客で一杯だったが、なんとラサに行ったはずの日本人が、もう戻っているではないか。

 彼曰く、ラサは既に漢化されているうえ、物乞いも多く、居心地が良くなかったらしい。それよりは麗江の方が良いと思い、早々に引き上げてきてしまったという。個人的にはあまり嬉しい情報ではないが、思いがけずラサの情報を入手することができ、久々にインターネットも利用できたりと、わずかな時間を有意義に過ごすことができた。

 そして翌日、雨の中をラサまでひとっ飛び…のはずだったが、時間になっても飛行機は現れない。大雨の影響らしいが、いつ出発できるかもわからないので、他の欧米人旅行客十名弱とともに喫茶店で待機。しかし、結局ラサまで飛べなくなってしまい、急遽成都に向かう羽目になった。当然飛行機会社の弁償で、空港近くの民航賓館に泊まったが、翌朝は5時過ぎの出立ということで、思いがけない道草を食ってしまった。

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