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旅行記:中国西南部(世界自然旅)

22.藏的風景到来 (2004/9/19-20:曇時々晴

 チベット世界に入る

 バスは7時発だったので、6時半に宿を発ってターミナルに向かうが、同じような時間に出立するバスが多いので、周囲は非常に混雑していた。目的のバスをやっと見つけると、私は最前列の席のはずなのに、既に大勢の客が乗り込んでいて、最後部しか空いていない…仕方なくそこにスペースを確保し、まもなく出発となった。

 康定の街を抜けて、川藏公路を折多河に沿って走り出すと、やがて高度をぐんぐん上げていく。そして折多山峠(4298m)に登りつけば、眼前には草原が広がるようになり、一気にチベットの世界に誘われていく。既にチベット文化圏に入っていたが、これで風景もチベット的になってきたわけだ。

 しかし、それを十分に楽しむ間もなく、道は洗濯板のような悪路となり、凄まじい揺れに見舞われた。最後部だからなおさらひどく、もう何度も頭を打ってしまう…とても舗装路とは思えない有様だが、ここは耐えるしかないので、パソコンや一眼レフカメラが壊れないことを祈って耐え忍んだ(なぜ補修をしないんだ?)。

 苦痛の下りを我慢すると、やがて新都橋の街が見えてきた。この辺りから、南西にはミニヤコンカが見えるはずだが、あいにく雲がかかって様子を窺えない…無念。街を抜け、甘孜方面の道を見送ると、再び登り始めて高尓寺山峠(4412m)へ。そして渓谷へと下っていき、雅龍江を渡って雅江の街に着いたところで昼食休憩となった。

 食後、またしても登りにかかり、剪子弯山峠(4659m)にやって来ると、ここからはチベットらしい荒涼とした草原地帯を走るようになり、ついには卡子拉山峠(4718m)へ。ずいぶん標高が上がっていて驚いたが、ここからは下りとなり、まもなく大草原と理塘の街並みが見えてきた。再び道が悪くなって苦闘するも、こうして3時半過ぎには無事バス移動を終えたのであった。

 理塘散策

 理塘はおよそ標高4000mに位置し、周囲を大草原に囲まれているが、妙に埃っぽい街だ。さっそく宿探しを始めるが、この辺りの人たちは、勇猛果敢で知られるカムパの中でも筋金入りとあって、男も女も驚くほど体格が良い。そんな客引きに戸惑いながらも、バスターミナル近くの平安渉外旅館に宿を確保。あいにくシャワーはないが、ここは1泊だけなので我慢しよう。

 そして翌日は、稲城行のバスが夕方しかないので、ちょっと街中を散策してみる。理塘寺(リタン・ゴンパ)近くのオボ(石塚)からの眺めが良いそうなので、まずはそこに向けて歩いていくが、道中はチベット族の集落になっていて、昔ながらの素朴な生活が営まれている。途中からは高台に上がり、景色も楽しみながら進んでいった。

 やや迷路がかった道を抜けると、目の前にオボが見えるようになった。左手に理塘寺の伽藍、右手に街並みと大草原を見ながら登ると、すぐにオボに到達。ひとまず時計回りに周って敬意を表すが、ここは確かになかなか眺めの良い場所だ。周囲には馬以外誰もおらず、実にのんびりとした雰囲気であった。

Obo
オボ

View of Litang
理塘の眺め

 しばらくして、地元の人が現れたところで退散し、理塘寺方面に歩いてみる。門の前まで進むと、交通が多くて賑やかになったが、ここもお金を取るようなので撤収。小さな川に沿うようにして新市街に向かった。が、こちらはただ賑やかな中国の街並みで、面白くも何ともない…がっかりしながら宿に戻り、昼前には散策を終えた。

Litang Gompa
理塘寺

 日本人という存在

 念のため2時過ぎにはターミナルに出向き、バスの到着を待っていると、4時前になってバスが相次いで到着。1台は郷城行だが、もう2台は稲城行らしい。ここでチケットを買って出発を待つが、何やら降りた客と運転手がもめはじめ、激しい口論になってしまった。

 乗り込んで良いのだろうか…恐る恐る車内を覗き込んでいると、怪しい動きだったのか、入口近くにいた男が「どこから来た?」と英語で聞いてきた。「日本から」と答えると、横にいた女性が「私、日本語話せます」と日本語で声をかけてきた。彼らもこれから稲城亜丁に向かうところで、成都からのバスで初めて知り合い、10人ほどで一緒に動く予定だという。若者がこれだけ集まるのだから、中国のトレッキング・ブームも本物なのだろう。

 そうこうするうちに出発となり、理塘から南下していく。途中から高度を上げて、海子山(4602m)に入ると、風光明媚な景色が広がるようになった。やがて奔波寺にやって来ると写真休憩となり、さらに桑堆で左折してまもなく、紅草地(狼毒が紅葉している)でも写真休憩を取ったりと、定期バスとは思えないサービスで、稲城には日没直前の到着となった。

Temple near Daocheng
奔波寺

Red grass
紅草地

 ここはかつてジョセフ・ロックが旅したところだけあって、今や「香格里拉之魂」の宣伝文句で売り出し中である。大通りまで整備されているが、この時間ともなると人が少なく寂しい限り。そんな中を降り立つと、さっそく日本語を話す于さんが声をかけてきて、皆で泊まれば安くなるからと、一緒に行動することになった。そして亜丁人社区に入り、1泊15元で交渉成立。ぞろぞろと中に入っていった。

 しかし、指定された部屋は2人部屋で、私は中国人の男と一緒になったが、それを知った男が激情し、他のメンバーに激しく詰め寄り出した。何を言っているかわからないが、きっと「なぜ俺が日本鬼子と一緒に泊まらないといけないのだ!」とでも言っているのだろう(後で知ったことだが、彼は南京出身だったのだ)。結局、この場は何とか収まったが、日本人と一緒は嫌だからと、その後の夕食や明日の出発は別々で行くことになった。中国における日本人の存在というのも、なかなか難しいものである。

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