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連隊館学士論文>第5章

学士論文 『ポスト企業社会とボランティア』

第5章  ボランティアがもたらすもの

  これまでの第2章から第4章においては、ボランティアの現状とそれを取り巻く問題をみてきたが、そこで明らかなように、一口に「ボランティア」といっても、活動の動機も様々なら、活動内容も多種多様であり、それゆえ活動で得られるものもまた千差万別である。しかし、それぞれの活動体験などをみてみると、ボランティア活動の意義としては、総じて「人間関係の形成」「問題発見」「問題解決」という3つの側面があるようである(1)。そこで、これらについて順次見ていくことにしよう。

1.豊かな人間関係の形成

 もう1つの世界

  まず、ボランティア活動に参加すること自体、かなり勇気のいることである。と言うのも、たとえ相手(対象)に共感し、「何かしたい」「力になりたい」などと思っても、すぐに「邪魔になるだけではないか」とか「自己満足ではないか」といった疑問が頭をもたげてくるからだ。しかも、上司の命令や教師の指示のように、ある規則に従って、決められたことを決められた相手にすれば良いというものではなく、自分自身で自発的に活動し、その責任も負わなければならないので、先のことを考えると、活動をする前から不安になってしまう。こうして、大抵の人はボランティアをしようと思っても、その一歩手前で足踏みしてしまうのである(図1(2)

図1 ボランティアの心の葛藤

  しかし、こうした葛藤を乗り越え、勇気を出してボランティア活動に参加すると、日頃出会うことのないような人々との出会いがあり、自然との触れ合いがある。顧みれば、我々の日常生活は、とかく親戚同士のつながりや地域の結びつき、それに学校では同級生やクラブの仲間、会社に入れば職場の同僚という具合に、極めて拘束的で限定的な関係に止まりがちである。だが、ボランティア活動に加わることで、こうした血縁・地縁・社縁でもないもう1つの世界、すなわち、それぞれの「思い」や「使命」のみを核にして集まった、選択的で非拘束的な関係(上野千鶴子の言う「選択縁」(3))のネットワークが広がるのだ。

  しかも、そこではお金を持つ者、権力のある者、社会的地位の高い人が偉い、といった従来の縦型の人間関係ではなく、たとえ障害者や高齢者であっても、一人ひとりが同じ人間として平等であり、共に生きていくかけがえのない存在なのだ、という横の関係で結び付いている(4)。すなわち、ボランティア活動は肩書きや職務権限抜きの個々の人間の本性と本質が問われる場となっているのである(5)

 社会的アイデンティティの獲得

  それに、活動を通じて相手と主体的に係わる中で、その相互交流から何かを共有できたと実感し、日常では得られない充実感を得ることもあるだろう(6)。「人は誰かのために役立っているという実感があって初めて幸せになれる」とバートランド・ラッセルが述べている(7)ように、社会的にアイデンティティを認められるということは、ボランティア活動をする者にとって、何ものにも変え難い財産なのである。ここで、障害を持った園児の送迎ボランティアを引き受けた元「会社人間」の場合を見てみよう。


  子供たちや父母の方々の「ありがとうございます」「よろしくお願いします」「気をつけて下さい」の声や、クリスマスやバレンタインデーに愛のこもったプレゼントが届いたり、卒園した子供たちが通学路で出会うと挨拶をし、声をかけ、手を振って合図してくれる。企業の中では利益本意、やって当たり前、失敗したら人間扱いされない社会戦争でした。今は子供たちのぬくもりを全身で感じながら、さわやかな汗を流しています。話せなかった子供が言葉を発した!歩けない友が歩いた!挨拶をしたら頭を下げた!と、「みんなで共感しつつ進んでいく」。うれしいことです。これからも自分の体力の続く限り毎日新しい感動を響かせ合いながら、社会的地位や身分を求めるのではなく、この世での生活が終わる時、「ああ良い人生だった」と思えるような生き方をしたいと考えています(8)

  このように、活動において同情したりされたり、関心を持ったり持たれたりする中で、競争社会では生まれようもない、充実した思いやりのある人間関係が育まれていく。そして、その過程で、少し自分が変わった、ないし世界が広がった、と思えるようになるのである(9)

  また、活動中に何気なく感謝や激励の言葉を言われることで、自分は価値のある、社会で必要とされている人間なのだ、と認識し、活動に参加して良かった、報われた、と思うこともあるだろう。以下の例は、病気遺児のためのボランティア活動に係わっている学生の体験である。


  このボランティアに携わるきっかけになったのは、大学1年の時、『あしなが学生募金』の街頭募金を経験したことからでした。‥‥最初は、街頭に立つことに抵抗がありました。今まで「あんなものはいかがわしいものだ」と思って、振り向きもしなかったわけですから。

  それが、いざ街頭に立ってみると、おじいちゃんやおばあちゃんが「がんばんなさいよ」と声をかけてくれたり、小学生の子が財布からなけなしの小遣いを出してくれたり。人の温かさ、優しさに触れて、「自分たちは期待されている」ということに、その時初めて気づかされました(10)

  ただ、これだけを見ると「自己満足に過ぎないのではないか」「ボランティアなんて偽善だ」などと思えてくるかもしれない。確かに、こうした自己満足的な側面しか持たないボランティア活動は存在するし、それを一概に否定することもできないであろう。事実、ボランティア活動体験者に、参加して良かったと思うことをあげてもらうと、「多くの人たちとの交流の場を得ることができた」とか「友人を得ることができた」、「人間性が豊かになった」、「満足感や充実感を得ることができた」など、自己充足的な側面を評価している人がかなり多いことがわかる(図2)。しかし、活動に深く入り込めば入り込むほど、対象から学ぶこともまた増えてくるようである。

図2 ボランティア活動に参加して良かったと思うこと

2.相互学習と問題発見

 異文化体験の意味

  先にも述べたように、ボランティアというのは、一般的には非日常の世界であり、一種の異文化体験(11)である。そのため、ボランティア活動を体験することで、これまでの生活では感じられなかったような発見をしたりもするのである。そこでまず例として、障害者のボランティアをしている女性の場合を見てみることにしよう。


  私にとって、障害者の仲間との出会いは新しい心の扉を開かせてくれるものでした。障害を持つ人たちは、障害も様々ですし、障害にあった生き方、生活ペースでしか生きられません。今まで「こうあらねばならない」という枠を自分の小さな心の中に作り、画一的な生き方を良しとしていた私にとって、障害者の生き方は、とても新鮮で自然な生き方に映りました。人間、一人ひとりが違う生き方、違う考え方で当然なんだと思うと、自分自身がとても楽になり、効率優先の価値観さえも変わってきました。また、障害を持つ友人が「私たち障害者同士の夫婦は、ないものだらけで2人で一人前しかできません。だから、相手に何かを求めるのではなく、相手のために何ができるか、いつもそれを考えています」と言っていました。ボランティアとは相手を思いやる気持ちだと思います。このように障害者の友人に接していると、ボランティアのあり方や人としての生き方を、私の方が教えられていると痛感します。1人の障害者の友人を通して新しい世界が広がり、また他の友人を通して全く違った世界が広がっていきます。私にとってのボランティアは、仲間づくりでもあり、新しい世界との出会いでもあるのです(12)

  この場合を考えると、当然のことながら両者の間には生活空間の違いがあり、それゆえに文化もまた異なる。そのため、活動を行なうことで、まず自分と異なる文化の存在を知ることになる。これは、仮に頭の中ではわかっていても、実際に体験を通して受け止められたことに大きな意味があると言えるだろう。そして、コミュニケーションを図り、相手の立場を理解しようと努める中で、「画一的な生き方を良しとしていた」自分自身の価値観が絶対的なものではないことに気付き、価値の相対化をもたらしたのだ。それとともに、異文化との接触を通じて、「ボランティアのあり方や人としての生き方」を逆に教えられ、自分自身の新たな一面を発見している。こうして新しい世界が開けることで、視野が広がり、新しいものの見方や新しい価値を発見できるようになったのである(13)

  また、その一方で、震災などの災害時に救援活動をすれば、普段の衛生環境の良さや水の大切さを実感するように、当たり前となっている日常生活の大切さを思い知らされることもある。以下は、震災ボランティアとして現地で活動した女子学生の感想である。


  ボランティア活動は、私が今まで気づかなかったことをたくさん教えてくれました。私は、改めて自分自身を見直し、自分が今までどんなに幸せであったかを知りました。東京に帰れば、トイレやお風呂が当たり前のようにあり、好きなだけ水が使えます。寝る時は温かい布団で寝られます。しかし、ここはその当たり前だと思っていたこともないのです。私は、この3週間で人生観が変わったと思います。人と出会い、影響を受けて、少しは成長したと思います。現地の方は親切な人ばかりで、私は気持ち良くボランティアができました。そして、与え与えられるというボランティア活動の喜びも知りました(14)

  そして、こうした中で「する-される」という一方向的な関係を超えて、人は皆一人ひとりがかけがえのない存在であり、誰もが他者に与えるものを持っている、ということを認識するに至るのである(15)

  こうした相互学習と問題発見のプロセスは、他のボランティア活動においても、多かれ少なかれ当てはまると言える。例えば、河原のゴミ拾いでもすれば、大量生産・大量消費・大量廃棄のシステムの矛盾や我々のモラルのいい加減さに気づかされる、というようにである。

  このように見てくると、ボランティアの参加者の多くが「ボランティアをしている(してあげている)のではなく、ボランティアをさせてもらっている」と話すのも理解できる。上記のように、ボランティア対象者(クライアント)との心の交流を実感することができ、自分を客観的に確認できるうえ、人間的に成長していくことができるからなのである(16)

 問題発見から問題解決へ

  なお、この限りでは、ボランティアは企業社会のシステムにさらなるダイナミズムと活力を与えるとともに、情報化社会において多様な価値を形成するうえでも柔軟性に富んでいると言える(17)。実際、最近では従業員のボランティア活動が従業員のモラルと生産性を高め、ひいては企業の業績をも向上させることを裏付ける研究成果がみられるし(18)、情報社会を機能させる優れたアプリケーション(情報サービス)ソフトは、それぞれの地域に蓄積された「草の根」的な連帯の土壌の上に生まれるとのことである(19)。そう考えれば、国家や企業がボランティア活動を奨励するのもうなずける。しかし、ボランティアが質・量ともに充実してくれば、こうした「問題発見」からさらに一歩進んで、「問題解決」に向けて、幅広い市民運動化へと進むのである。

3.問題解決への道

 提案型市民活動の芽生え

  上記のような「問題発見」のプロセスを通じて、今日、社会への関心はますます高まっている。しかし、個人が様々な社会問題に関心を持ち、心を痛めたとしても、問題を根本的に解決しようとするとすぐに壁にぶつかるので、結局1人では何もできないという無力感や焦燥感を抱かざるを得ない(20)。そのため、たとえ社会に対して不満を持っても、大概の場合、積極的な行動には出ないのだ(21)

  だが、ボランティアの場合は、困難に直面している対象に接して、自分でも役に立てるかもしれないと感じ、自分自身から自発的に行動を起こしている(22)だけに、対象に対する思い入れは人一倍強いものになる。そのため、対象が抱える問題に関心を向ければ向けるほど、実体験から明らかになってくる理想と現実との矛盾を切実に感じるようになり、問題の解決に向けて立ち上がることになるのである(23)

  その点ボランタリー・セクターには、多種多様で個性的な、そして時には相対立する使命感を持った独立独歩の組織が数多く存在し、種類も多岐に渡っている。しかも、こうした組織は政治的・経済的価値観を超越した結集力のある価値観に深く係わっているため、政治的・経済的権利を奪われた人々のニーズ、したがって政府の政治プロセスや市場の経済的プロセスでは通常満たされないニーズにも、自然と目を向けるようになるのだ(24)

  こうして、徐々にではあるが、問題意識に目覚めた人々がボランティア活動に加わり、それぞれの信条にしたがって、できる範囲内で自分なりの問題解決を図るようになってきている。

  こうした傾向は、近年になって、積極的に自分たちの暮らすまちづくり等に参画しようとする「提案型市民活動」が活発になり始めていることに現れていると言えるだろう。例えば、東京の日野市では、行政に“お願い”や“文句”を言うだけの「市民参加」ではなく、市民自身がまちづくりの「提案主体」となることを目指して、80人ほどの市民の手で『市民版 日野・まちづくりマスタープラン』を作成した(25)。また、静岡の三島市では、「水の都・三島」の再生と復活を目指して、独自の活動を展開してきた各種市民団体が結集するのみならず、市民・行政・企業とのパートナーシップ作りも実現し、「地域総参加方式による環境改善活動」として、市民自身の問題意識に立って、主体的、積極的、具体的に政策提言を行ない、かつ実践して、地域の環境改善に貢献しているとのことである(26)

 自律的な市民社会へ

  こうした活動はまだ始まったばかりであり、全体から見れば微々たるものに過ぎない。だが、ここで見られる人々は、自発的に社会問題に取り組む、社会の主体的な構成員としての「市民」であり、周囲の顔色をうかがい、他人に合わせることを美徳とする(27)、これまでの平均的な日本人とは明らかに違っている。そのため、ボランティア活動が普及し、より多くの人々が社会へのコミットメントを深めることで、この潮流が確実なものとなるのならば、これまでの日本社会を規定していた「会社主義」や「『お上』意識」を脱却して、受動的な日本人は能動的な「市民」へと徐々に変貌していくことになるとともに、市民が主体となった自治の達成に向けて邁進していくことになるであろう。そして、それがさらに進めば、「個」の共同性に支えられた自律的な市民社会の形成へと、漸進的に向かう力になるのではないだろうか。

 コーディネートの重要性

  とはいえ、これはあくまでも理想的な場合であり、現実にはボランティアとクライアントの間で相互不信が生じたり、ボランティア同士で意見の食い違いが出たりしており、時には励ましや説得が必要なこともある。例えば、以下の女子学生のケースをみてみよう。


  『スターダストクラブ』は、養護学校が夏休みの間、障害者のデイケアを引き受けるというもの。障害者1人にボランティア1人がつきます。私のパートナーは、「シュンちゃん」という知的障害を持つ高校3年生でした。

  初日からいきなりシュンちゃんと2人きり。彼は1日中モゴモゴとしゃべっているのですが、いったい何を話しているのか、さっぱり理解できません。うなずいていいものなのか、どういう言葉を返せばいいのか、とにかくどうしていいのかわからないんです。

  誰かに助けを借りようと思って周りを見回すと、障害者の人が飛び回っていたり、その辺にころがっていたり。ギャーという悲鳴が聞こえると、シュンちゃんも驚いてパニック状態になり、手に負えません。助けを呼びにいく暇もないのです。

  私自身、ものすごく恐くなって「私、何しにきちゃったんだろう。早く1日が終わってほしい‥‥」と、涙が出てきました。「今までやってきた手話や車椅子の使い方なんて、ほんのちっぽけなことだったんだな」と、その時つくづく感じたものです(28)

  こうした問題は、ボランティア希望者が増えれば、さらに大きくなっていくことだろう。そのため、これからは、こうした問題に相談相手として対処し、ボランティアの「思い」を生かせるように配慮するコーディネーターの役割がますます重要になるのである。


  ともあれ、以上のように考えると、ボランティアは、企業社会の新しい動きと絡みながらも、企業社会とは異質の世界を指向しており、現代社会の閉塞状況を打ち破るオルターナティブとして、それゆえポスト企業社会のパラダイムとして、大きな可能性を秘めていると言えるだろう。


[注]

(1) ちなみに、この3つの側面は、順番通りに現れるわけでもないし、全てを実感できるわけでもない。例えば、自己実現のためのボランティアであれば、目的は「人間関係の形成」と「問題発見」であり、「問題解決」は付随的なものであるのに対し、社会奉仕のためのボランティアであれば、むしろ活動前に「問題発見」があり、それゆえ「問題解決」が目的ということになる。

(2) このようなボランティアの不安や葛藤については、金子郁容『ボランティア--もうひとつの情報社会』(岩波新書、1992年)に詳しいので、そちらを参照のこと。

(3) 「選択縁」とは、血縁・地縁・社縁のどれにも還元されない関係のことであるが、その特徴としては、加入・脱退が自由で拘束性がないこと、特定の情報やシンボルを媒介に結びつきあっていること、脱役割と変身が可能で遊びと演技が成り立つこと、が挙げられる。詳しくは、上野千鶴子『近代家族の成立と終焉』(岩波書店、1994年)などを参照のこと。

(4) 森井利夫編、前掲書、41頁参照。

(5) 田中尚輝、前掲書、171頁参照。

(6) 森井利夫編、前掲書、101頁参照。

(7) 『季刊窓』第20号(前掲)、78頁より。

(8) NHK学園CSネットワーク編『空とべたいやきくん』(第一書林、1995年)、16頁より。

(9) M・マグレガー他『ボランティア・ガイドブック』(誠信書房、1994年)、93頁、および森井利夫編、前掲書、101頁参照。

(10) 講談社編『ボランティア はじめの一歩』(講談社、1994年)、89-90頁より。

(11) この場合、異文化とは、外国人の文化だけではなく、男女、年齢、障害者と健常者など様々な文化の違いを含む。

(12) NHK学園CSネットワーク編、前掲書、68-69頁より。

(13) 古沢広祐『地球文明ビジョン』(NHKブックス、1995年)、209頁、および金子郁容、前掲書、69-70頁参照。

(14) ファミリー国立事務局編、前掲書、109頁より。

(15) M・マグレガー他、前掲書、iv頁参照。

(16) 田中尚輝、前掲書、171頁参照。

(17) 古沢広祐、前掲書、201頁参照。

(18) 丹下博文、前掲書、43頁参照。ちなみに、こうした研究成果はアメリカのものである。例をあげると、1988年には、コミュニティに積極的に参加している企業の従業員は、企業に対する忠誠心が旺盛であるとの結果が出ている。また91年には、企業の市民性レベル、従業員の満足度、そして企業の収益能力の間には強い関連性があるとしている。さらに、続く92年には、アメリカ企業1,800社を対象に調査が実施され、企業のボランティア・プログラムは従業員のモラル、技能、および忠誠心を形成するのに役立つことが実証されている。

(19) 内橋克人『共生の大地』(岩波新書、1995年)、237頁参照。

(20) 金子郁容、前掲書、7頁および68-69頁参照。

(21) 総理府青少年対策本部「世界青少年意識調査」(1993年)によると、18~24歳の青年の場合、社会に対して不満を持った時に「合法的範囲で積極的な行動」が20.7%、「場合によっては非合法」が2.7%なのに対し、「積極的な行動はとらない」が50.2%、「係わり合いを持たない」が19.6%となっており、日本では積極的な行動に出ないものの比率が高い。しかも、積極的な行動をしない理由を見ると、「個人の力が及ばぬから」が67.5%、「ふさわしい人がやればよい」が9.8%、「他にもっと大切なことがある」が20.4%であり、1人ではどうしようもない、との思いが強いことがわかる。

(22) 森井利夫編、前掲書、57頁参照。

(23) デビッド・コーテン『NGOとボランティアの21世紀』(学陽書房、1995年)、 157頁参照。

(24) 同書、121頁参照。

(25) 詳しい内容については、日野・まちづくりマスタープランを創る会『市民版 日野・まちづくりマスタープラン』(1995年)を参照のこと。

(26) 詳細については、渡辺豊博「市民と行政、企業とのパートナーシップで環境改善へ挑戦」『ESP』1994年9月号(前掲)、53-57頁を参照のこと。

(27) こうした日本人論については、土居健郎『「甘え」の構造』(弘文堂、1971年)などを参照のこと。

(28) 講談社編、前掲書、84-86頁より。なお、この後の反省会で「相手が話しているんだから受け答えするのは当然。ゼスチャーで話しているところを文章にしてあげればいいんだよ」と教えられて元気を取り戻した。そして、次の集まりの時には会話もでき、一緒に遊ぶこともできるようになり、やみつきになったという。

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