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連隊館学士論文>第4章

学士論文 『ポスト企業社会とボランティア』

第4章 ボランティアは根づくか

1.意識の溝

 日本社会とボランティア精神

  日本におけるボランティアとフィランソロピーの行方を考えるに当たっては、何より個々人の意識の有り様を検討することが必要である。最近になって、にわかにボランティアに対する関心が高まっている、とは言っても、少なくともアメリカやイギリスと比べれば、日本は「ボランティア後進国」と言わざるを得ない状況であり、まだまだ発展途上の段階なのである。果たして、日本社会において、ボランティア意識というものは存在し、これから拡がっていくのであろうか。

  日本にはボランティア精神などない、とよく言われる。確かに、ボランティアやフィランソロピーという概念は欧米で生まれたものであり、そこにはキリスト教の精神が色濃く反映されているから、日本にはないものなのかもしれない。欧米では「自分がいま、その立場にいたとしたら、何を(人から)してもらいたいか、してもらいたいと望むであろうことを、相手がだれであれ、いま、行なえ」(マタイ福音7-12)といった形で、生ある人間の縁としての愛と連帯という思想が、人々の胸の中に深く根を降ろしているのだ(1)。だからこそ、困っている人などを見ると、積極的にボランティア活動をしようとするのであろう。

  その点、日本ではそうした伝統はないし、日本の宗教として大きな影響力を持った仏教の教えも、信心を忘れずに善行を積めば必ず報われる、と現世利益を説き、それで報われない場合などには、前世の因果だとか後世に報応があるといって、現世を前世と後世とに引き伸ばして説明づけるので、運不運は全て個人の責任であることになる。だから、貧乏人は努力して働かなかったから貧乏になったのだ、とか、ある人が悲惨な目にあっているのは前世でよほど悪いことをしていたからに違いない、などとなって、不幸な人々に対する同情心が薄くなるのである(2)

  それでは、日本は弱肉強食の世界であったのかというと、決してそんなことはない。例えば、早くは7世紀に、大規模な仏教寺院ではその末寺も含めて病める者、飢えたる者に施しを行なったとの記載がなされているし、親なき子、老いたる者のために喜捨を集めた勧進講は日本古来の社会的伝統であった(3)。それに、仏教の衰退にもかかわらず、江戸時代の何千という寺子屋、あるいは大坂の大商人による懐徳堂の成立(4)にも明らかなように、民間の公益活動は存続し続けた。1829年に設立された秋田感恩講は、日本の民間助成財団の発祥とも言うべきものであるが、アメリカの最初の大型財団に80余年も先駆けるものであったのだ(5)

  また、日本には、昔からイエ・ムラと呼ばれる血縁と地縁に基づく結びつきがあった。ムラの場合を例にとると、そこでは、農業生産のための山や水の管理、道や橋や用排水路の普請、水防や防火といった義務的なムラ仕事の他に、一時的に多くの労働力を必要とする田植えや家の建築、屋根ふき等に協力する「ユイ(結)」や「モヤイ(模合)」といった助け合いが行なわれていたとのことである(6)

  このように、幸不幸、運不運は全て個人の責任なのだから、それぞれ自分たちで解決するのが筋であるとして、そこから相互扶助と自立更正の意識が生まれたのである(7)

 自我拡大の兆候

  しかし、こうした関係は仲間「内」にだけ通用するものであるため、「外」の集団に対してはほとんど適用されなかった(8)。すなわち、自分たちの血縁・地縁以外には開かれておらず、非常に排他的な意識だったのだ。そしてこれは、例えば、知人の冠婚葬祭には金を惜しまず出す人も、「恵まれない子供に愛の手を!」などという募金に出くわすと見向きもしないというように、現在でも根深く残っている。こうした公共性のないものは、ボランティア意識とは言えないものなのである。

  ところが、最近の諸情勢の変化に伴って、こうした意識も変わりつつあるようだ。というのも、近年の国際化・高齢化の進展や環境問題の深刻化等によって、個人の関心が広く社会に向けられるようになってきたし、物質的な豊かさを手に入れたことにより、モノへの執着心は弱くなり、自己実現を望む人が増えているからである。そして、こうした中で、自分自身や家族、仲間を大切にするだけでなく、関心を地域のより広い人々にまで拡大し、彼らが幸せになることを自分の幸せとして受け止めるという「自我拡大」の傾向が、我々の心の中で広がりつつあり(9)、それが人々をボランティア活動へと向かわせているのであろう。

  こうした趨勢は、一時的なものどころか、これからますます進んでいくものと思われる。グローバル化が政治・経済・社会の各方面で進展することはまず間違いないし、高齢化は天変地異でもない限り必ず進行していく。また、精神的な豊かさの追及も、これだけモノがあふれれば必然的に強まっていくであろう。そのため、これからは社会に対する関心もどんどん高まり、それと時を同じくして、ボランティア意識も、「助け合い」の精神を基盤として盛り上がってくると考えられるのである。

2.制度の壁

 活動団体の憂鬱

  しかし、ボランティアにいくら熱意があっても、現実には、個人が思い思いに行動するのではあまり効果はない。どんな活動が必要とされているかといった情報収集から、活動計画や予算の見積もり、さらには物資の調達をしたり、適材適所にボランティアを派遣するというように、ボランティアの「思い」を効果的な活動にしていくためには、きちんと意思決定を行ない、それを実現していけるような組織が必要だし、規模や活動内容によっては専従で働く有給のスタッフも必要なのである(10)

  このように、ボランティア活動では組織が重要な役割を果たすのであるが、実際には、その組織を大きく成長させていくことが今の日本では非常に難しいため、ボランティア団体の9割以上は法人格を持たない「任意団体」なのだ。欧米のボランティア団体が一般にNPOとして法人格を取得し、税の優遇措置を受けているのとは事情が違うのである(11)

  そのため、活動団体は多大な難問を抱えている。例えば、団体としての契約ができないから、事務所を借りるにしてもメンバーが個人として契約しなければならないし、銀行に口座を開くときも団体名だけでは名義が作れず、団体名の後に必ず責任者の名前をつけなくてはならない。また、活動中に何か損害が生じたときも個人が責任を負うことになる。つまり個人に様々な負担がかかってしまうのだ(12)

  しかし最大の課題は、何といっても資金不足である(図1)。特に任意団体の場合は、税の優遇措置はもちろんなく、社会的信用もないので、資金不足になりがちである。そのため、十分なスタッフを雇い入れることも出来ず、限られたスタッフに活動のしわ寄せがいってしまう。また、給与水準が低いうえに社会保険等の恩恵も受けられず、そのうえ狭い事務所スペースなどで労働環境が悪いことから、質の高い優秀なスタッフを長期的、かつ安定的に確保することが困難となり、活動がマンネリ化して停滞してしまう。そして、そういった現象が活動団体の魅力や活力の低下に結びつき、ますます活動資金の獲得を困難にするのである(図2(13)

図1 NPOの事業面・運営面での悩み
図2 資金不足による悪循環の構図

 現行制度の欠陥

  ところで、このような問題は、活動団体の多くが法人格を持たない任意団体であることに起因している。しかも法人格と税法がリンクしているので、法人化は非常に重要な問題なのである。それでは、ボランティア団体の法人格取得制度はどうなっているのだろうか。

  現在の日本には、こうした団体を対象とした包括的な非営利法人制度は整っていない。だが、その代わりに民法34条に規定されている公益法人として財団法人・社団法人があり、特別法によって定められた法人としては社会福祉法人などがある(14)。そして、いくつかの団体は、この制度のもとで法人となり、活動を続けている。

  しかし問題は、この「法人化」が極めて困難で、かつデメリットも多いことである。法人になるに当たっては、まず主務官庁の「許可」を取らなければならず、ここで活動が大きく制約される。活動団体は、その活動にふさわしいと思われる官庁に申請するのだが、このために、基本的にその官庁の管轄外の分野には手を出せなくなる。そして、この「許可」は官庁によって異なり、明確な基準もないうえ、時間もかかり、しかも基準が厳しいため、なかなか認められないのである(15)。例えば、財政面からみると、財団では数億円の基金が、社団では年間数千万円の経費を確保できることが必要条件である(16)から、草の根の市民団体の法人化など夢のまた夢である。

  また、仮に法人化が認められると、団体の資産等が個人の名義から団体名義になり、スタッフの身分保障も明確となるなど、社会的信用も得られるようになるし、税制の優遇措置も獲得されるので、寄付金も集まりやすくなるなど、メリットは大きいと言える。だが、これは主務官庁の監督下に入ることを意味するから、活動が窮屈なものとならざるを得なくなる(17)。それに税制の優遇措置といっても、寄付金の控除は、個人については「特定公益増進法人」以外は存在しないし、企業の場合もわずかしか認められていない状況(18)なので、寄付金集めは非常に難しく、法人化は実現しても維持のための苦労は続くのである。

  そのため、こうした公益法人化のハードルの高さを嫌って、止むを得ず団体の事業部門を別会社として、設立が比較的容易な有限会社や株式会社(19)、あるいはワーカーズ・コレクティブ(20)とするケースが増えているという有様である。

 諸外国の例

  それに引き替え、アメリカやイギリスでは、日本に比べて格段によい状況である。例えばアメリカでは、非営利法人に関する制度は州によってまちまちであるが、日本のように法人格と税制がリンクしていないので、法人の形態は実質的に重要ではない。そのうえ、免税資格を得るには、内国歳入法典に記された基準を満たしていれば原則として認められることになっており、それほど難しいことではないし、官庁の影響を受けることもまず考えられない。しかも、税制の優遇措置をみても、寄付金の控除が個人にも企業にも大幅に認められているなど、日本よりも条件が恵まれているため、寄付金集めも日本ほど苦労せずにすみ、活動を円滑に進めていけるのである(21)

  また、イギリスの場合も、団体の登録は、どこの省庁にも属さず、政治的な影響力を受けない「チャリティー委員会」が一括して審査し、書類等の条件を満たしていれば認定されることになっている。そして、それとは直接の関係はないけれども、税制の優遇措置も恵まれているのである(22)

  このように、日本の制度は、ボランティアを振興していくに当たって大きな足かせとなっていると言えるだろう(図3)。

図3 日本・アメリカ・イギリスにおける市民公益活動の制度と税制

 改善の動き

  だが、最近になって、とりわけ阪神大震災を契機にして、この制度を見直す動きが活発化してきている。近年のボランティア活動の高まりに伴い、「市民活動を支える制度を作る会(C's)」(23)やNPO研究フォーラム(24)といった市民団体が早くから問題提議をしていたのであるが、震災ボランティアの活躍により市民活動の重要性が幅広く認識され、政党や政府もようやく重い腰を上げたのである。

  こうして、政府は95年2月3日より、18省庁からなる「ボランティア問題に関する関係省庁連絡会議」を発足させ、支援立法についての協議を重ねているし、連立与党と新進党もそれぞれ法案化作業に着手し、議員立法として96年中の国会で討議される予定である(25)

  そして、これまでの経過をみると、法人設立については、新進党が「用件さえ満たしていれば認可される準則主義に近いもの」とし、与党案も「認可」の代わりに「認証」とするなど、現行制度と比べれば、行政の権限を最小限に抑えるよう配慮している。しかし、税金逃れや反社会的な組織の設立など、法律の悪用や乱用を防ぐためには何らかの歯止めが必要だという認識も強まり、法人としての適性、活動のあり方などについて、両政党案とも「行政の判断・監督」を明確に打ち出しているのである(図4(26)。これでは、政府の政策と違った主張をする団体が排除される恐れがあるなど、市民活動の自主性・自律性が著しく損なわれてしまうであろう。

図4 「市民活動」法制度を巡る考え方

  そのため、市民活動の多様性を保障し、自主性・自律性を尊重することが肝要であり、それゆえ法人化に際しては、会員数や団体としての規約など一定の基準を満たせば自動的に認可を得られるようにするべきである。そして、その一方で「法律の悪用や乱用を防ぐために」活動団体の情報公開を義務づけるとともに、行政に代わって独立の監視機関がそれをチェックするのが望ましいと言える。

  このように「NPO法案」にはいくつかの問題があり、市民の主体性を尊重するような制度に改善していく必要がある。しかし、市民活動を支援する気運は確実に高まっており、今後の展望は明るいようである。

3.政策と論争

 ボランティア観の対立

  こうしたボランティア活動の活発化の中で、活動を支援する動きは拡がってきている。例えば企業では、ボランティア休暇・休職を認めるところが徐々に増えており、職場内でのボランティアに対する見方も以前に比べて寛容なものとなっているようである。

  また、教育においても、知育偏重の画一的な偏差値教育を是正するためとして、文部省が「生徒の個性を多面的にとらえるため、ボランティア活動も適切に評価するように」という通達を各都道府県教育委員会に出した(93年2月)のをきっかけとして、ボランティアを体験するように授業の一環として組み込んだり、入試においても点数化して評価するようになってきている。そして、それに対応して、全国的に夏休みなどには受験を控えた中学生が「にわかボランティア」として急増しているようである(27)

  さらには、高齢者・障害者の在宅介護を中心として、いわゆる「有償ボランティア」や時間貯蓄制(28)に基づくボランタリーな活動も生まれ、中高年女性層を中心として、今のところうまく機能しているようであり(図5)、一部ではネットワーク化に向けた準備も進んでいるのである(29)

図5 住民参加型サービス団体の推移

  だが、こうした動きに対して、旧来から活動を続けている人たちなどの中から、これはボランティアではない、との批判が出てきている。教育における評価については、ボランティアは自発的なものであるから成績として評価するべきではないと言い、有償制や時間貯蓄制については、ボランティアとは「無償の奉仕」であるから認められないと言うのだ。

  しかし、果たしてそれでいいのだろうか。

 柔軟な対応こそ

  まず、教育における評価について考えてみよう。確かに、本来ボランティア活動は成績のために行なうものではないから、評価という「餌」で釣るのはふさわしくないのかもしれない。実際、以前から活動に参加していた子供たちが「点数稼ぎだと思われるのがいや」「打算的にボランティアをしていると思われるのがいや」と言って、ボランティアをやめてしまうケースが出てきている一方で、「点数稼ぎ」と割り切って、突如活動を始め、内申書が提出されるとあっさりやめてしまう生徒もいるという(30)。だが、ボランティア活動に対する偏見や戸惑いが根強くあることを考えると、現在のような過渡期には一種のアファーマティブ・アクション(積極的差別是正策)(31)が必要であるし、これがボランティアを知る貴重な経験となるのであれば、啓発の好機と捉えることもできる。しかも、中・高校生の6割以上がボランティア活動の評価に賛成している(32)ことを考えると、評価自体は別に構わないのではないかと思われる。それに、もともと評価に際しては、特記事項を設けたりと、ボランティア以外にも本来成績が目的でないものも含まれているから、ボランティアだけをとやかく言うべきではないであろう。

  そうは言っても、ボランティア活動を点数化するのには無理がある。と言うのも、例えば高齢者の介護より河原のゴミ拾いが劣る、などとは一概に言えないことであるし、そもそも点数や偏差値という一元的な受験競争原理によって評価することは、多様な生徒の活動を一元化してしまう(33)からである。よって、評価に際しては「こういう活動をした」という事実のみを記入すればよいと思われる。

  また、有償・時間貯蓄制について考えてみると、これは日本に昔からあった「助け合い」に根差したものであるから、日本人には受け入れやすいもののはずである。確かに、「見返り」(お金等)をもらうために行なっているわけではないのであるが、ボランティアの対象になる側(クライアント)にとっては、払った方が気がねせずにすむという場合もありうるし、ボランティアを担う側も、周囲から偏見の目で見られずにすむという利点があり、一概に否定するべきものではないと言える。問題なのは、外面ではなく、内面の気持ちであるからだ。

  以上のように考えてみると、ボランティアが根づく気運は着実に高まっていると言えるだろう。そして、こうした潮流は、人々が変な偏見や保守的な考えに固執することなく、柔軟に対応できるかにかかっている。それができれば、日本社会にも、ボランティアやフィランソロピーは根づくと考えられるのである。

  それにしても、最近になってボランティアをしたいという人が増え、国家や企業もそれを奨励しているが、それには何らかの理由があるはずである。ボランティア活動に参加することで、他では体験できない「何か」を得られるのであろう。そこで次章では、この「何か」を探究することによって、ボランティアが個人や社会にとってどのような意味を持つのかを考えることにする。


[注]

(1) 林雄二郎・山岡義典編、前掲書、128-129頁参照。

(2) 同書、80-81頁参照。

(3) レスター・M・サラモン『米国の「非営利セクター」入門』(ダイヤモンド社、1994年)、i頁参照。

(4) 懐徳堂は、町人の学問のために、町人である5人の大坂商人が設立し支援した塾であり、拠出金を基本財産として運用するなど、現在の財団法人と似た組織形態を持っていた。ちなみに、江戸時代の末期には、全国でおよそ1,500の私塾があったが、その中には、慶應義塾のように、幕末に蘭学塾として出発し、明治になって日本有数の私立大学になったものもある。

(5) 秋田感恩講は、農民の窮乏を憂えた商人が育児と救貧のために藩主に献金したことに多くの仲間が共鳴し、それを基本財産として設立されたものであり、現在のコミュニティ財団に相当する。

(6) 佐野章二『ボランティアをはじめるまえに――市民公益活動』(公人の友社、1994年)、54-56頁参照。

(7) 林雄二郎・山岡義典編、前掲書、81頁参照。

(8) 佐野章二、前掲書、57頁参照。

(9) 森井利夫編『現代のエスプリ321 ボランティア』(至文堂、1994年)、66頁参照。なお、「自我拡大」という概念は、アメリカの心理学者G・W・オルポートが生み出したものである。

(10) 『はじめてのボランティア』(毎日新聞社、1995年)、127頁参照。

(11) 『はじめてのボランティア』(前掲)、128頁参照。

(12) 同書、同頁参照。なお、活動団体には他にも多くの問題がある。例えば、参加者不足、人材不足、情報の受発信力の弱さ、マネージメント力の欠如などである。

(13) 総合研究開発機構(NIRA)『市民公益活動基盤整備に関する調査研究』(1994年)、89-90頁参照。

(14) 他には、学校法人、宗教法人がある。また、非営利法人としては、消費生活協同組合、医療法人、認可地縁団体、管理組合法人・団地管理組合法人などがある。

(15) この問題についての詳しい分析は、NIRA、前掲書などを参照のこと。

(16) 『季刊窓』第20号(前掲)、86-87頁参照。

(17) ある団体は、官庁から「阪神大震災に関しては設立目的からはずれるので、活動をしないように」という指導まで受けている(『経済セミナー』1995年10月号、日本評論社、27頁より)。

(18) 個人の場合、一般の公益法人に寄付をしても何の控除もないが、「特定公益増進法人」(一般には社会福祉法人と学校法人を指す)に寄付をしたときは、課税所得の25%を限度とする範囲内で、寄付額から1万円を差し引いた額の所得控除(課税所得額の減額)を受けることができる。一方、企業の場合は、いわゆる「一般損金算入限度額」([資本金×2.5÷1000+当該事業年度所得×2.5÷100]×1/2)までは、公益法人はもとより任意団体や政党、関連会社への「寄付」も全て損金扱いを受けることができる。しかし、これを超える寄付は一般に控除されないが、特定公益増進法人に限っては、これとは別に、さらにそれと同額の「特定公益損金算入限度額」まで控除を受けることができる。

(19) こうしたケースは、わかっているだけで350社程度である。

(20) これは、自分たちで必要な資金を出し合い、自分たちで労働や分配のルールを決め、事業目標を定め、自ら働き、自ら管理運営する生産者協同組合方式による協同事業体のことである。その収益の中から、賃金に当たるところを「配分金」として受け取るのであるが、現在最も多い事業体でも高校卒業の初任給程度である。このような低賃金でも楽しく、生きがいを持って働けるのは、自立性と自発性を基本にして、事業目的が社会的利益のためであり、そして働くことと資本・経営の分離がないという工夫をしていることによっている。現在、家事介護サービス、在宅福祉サービス、集合託児、老人給食、弁当、翻訳、編集・印刷業等の分野で事業展開されており、女性や高齢者の社会進出の場としても注目されている。

(21) NIRA、前掲書、94-97頁参照。なお寄付金控除については、図3を参照のこと。

(22) 同書、107-118頁参照。

(23) これは、曹洞宗国際ボランティア会(SVA)、日本国際ボランティアセンター、市民フォーラム2001などの約30の市民団体により、1994年11月に作られたものである。

(24) これは、大学の研究者および実務家の調査研究者で組織されたものである。なお、この団体が1995年2月24日に発表した「NPOの制度改革に関する緊急提言」については、本間正明・出口正之編、前掲書、196-201頁を参照のこと。

(25) 新進党案は一足早く95年秋の臨時国会に提出されたが、継続審議となっている。一方、与党案については、96年初頭の通常国会に提出される予定である。

(26) 『朝日新聞』1996年1月8日より。

(27) 『ボランティア白書 1995年版』(前掲)、123頁参照。

(28) これは、ボランティアなどで活動した時間をお金に換算せず、時間として記録しておき、ボランティア活動で労力を提供した分、自分が必要な時に手助けしてもらえる、というものである。

(29) 『日本経済新聞』1994年11月30日参照。

(30) 『はじめてのボランティア』(前掲)、138頁参照。

(31) これは、一般的には女性差別や人種差別を是正するために、例えば入試などで、差別されている側に一定の優先枠を設けるというものである。

(32) (財)日本青少年研究所「中・高校生のボランティア意識調査」(95年1月)によると、ボランティア活動が学校で学業成績と一緒に評価されることについて賛成と答えたのは、中学生が62.5%、高校生が67.7%。推薦入学や入試などで評価対象にすることについても、中学生の57.7%、高校生の55.0%がそれぞれ賛成したという(『朝日新聞』1995年7月6日より)。

(33) 『ボランティア白書 1995年版』(前掲)、124頁参照。

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