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連隊館学士論文>第2章

学士論文 『ポスト企業社会とボランティア』

第2章 ボランティア・ブーム

  近年、ボランティア活動への関心が大いに高まり、一種の「ブーム」となっている。「ボランティア」というと、以前ならば何か「特別な活動」と思われがちであったが、次第に「身近な活動」として見直されてきているのである。では、その実態はいかなるものなのであろうか。

1.バブルとフィランソロピー

 「フィランソロピー元年」

  ところで、ボランティア・ブームに先駆けて注目されたのが、企業のフィランソロピー活動であった。90年の2月に、企業による文化・芸術支援の普及を目的とした「企業メセナ協議会」が発足したのを始め、同年11月には、経団連により可処分所得ないしは経常利益の1%以上を寄付して社会に貢献するという「1%クラブ」が設立され、さらに同じ11月に大阪商工会議所が「大阪コミュニティ財団」の設立を提唱する(1)など、「企業市民」としての活動が一挙に花開いた(2)。そのため、90年は「フィランソロピー元年」などと呼ばれているのである。

  そしてその後も、経団連は91年に専門部局として「社会貢献部」を設置し、翌年には我が国初の『社会貢献白書』を出版した(3)。また大阪でも、大阪ボランティア協会が「企業市民活動推進センター」を設立したのに加えて、大阪工業会からの寄付金により大阪大学で公開寄付講義「フィランソロピーの理論と実践」が開講されたり、『企業市民ジャーナル』という雑誌が発刊されたりと、活発な活動が繰り広げられた(4)

  一方、こうした情勢の中で、個々の企業も社会貢献活動に取り組むようになっていった。富士ゼロックスが90年に「ソーシャル・サービス休職制度」というボランティア休職制度を導入した(5)のを皮切りに、各企業で「企業文化部」や「社会貢献部」といった新しい部署が次々と生まれ、ボランティア活動者を表彰したり、社員の個人的な寄付に企業も一定額(通常は同額)の寄付を上乗せする「マッチング・ギフト」を行なったり、社員参加型のイベントを企画したりと、様々な試みがなされた(6)

  しかし、こうした活動の中心は、何といっても金銭的な援助であった。東京商工会議所が91年6月に行なった「企業の社会貢献活動に関する調査」によると、企業が行なう社会貢献活動は、物的・人的な支援活動に比べて金銭の提供を主とするものが圧倒的に多いことがわかる(表1(7)。そして、この支援は91年度にはさらに発展し、支出金額も参加企業数も経常利益比でも大幅に増加したのであった(表2表3(8)

表1 社会貢献の分野と方法
表2 社会貢献活動に係わる支出
表3 社会貢献活動支出の売上高・経常利益に占める比率

  このように、90年代に入って企業フィランソロピーは活発化し、世間の注目を集めるようになった。経営者は盛んに「コーポレート・シティズンシップ」や「フィランソロピー」の重要性を唱え、新聞などのメディアにもこの言葉が頻繁に登場していたのである。それでは、こうした現象はどのようにして生まれたのであろうか。

 バブルの影響とアメリカの影響

  これには主に2つの要因が考えられるが、そのうちの1つは、バブル経済の影響によるものである。

  この時代、すなわち80年代の終わりから90年代初めにかけては、バブルの絶頂期であり、企業はカネ余り現象の中で株式・土地・絵画等の投機的な取引に打ち興じていた。また、新しい宣伝手段としていわゆる「冠コンサート」が盛んに行なわれていたが、これについても、海外の著名なオーケストラやオペラを招待するために、億単位の資金が使われることも稀ではなかった。こうした中で、「豊かな企業とそれを実感できない個人」というジレンマが次第に強まり、それがやがて企業行動そのものへの批判に帰着したのである。そして、これまでの傍若無人な企業行動が反省され、企業の社会的役割が問い直されるとともに、企業批判をかわし、イメージの向上を図る方策として、フィランソロピーが注目されたのであった(9)

  しかし、これにはアメリカの影響という、もう1つ重要な要因があった。すなわち、日本企業は85年のプラザ合意以降の円高を受けて、直接投資という形でアメリカ社会に入り込んでいった。ところが、アメリカには700万から800万のボランティア団体やNPO(Non-Profit Organization)が存在し(10)、成人の2人に1人がボランティアとして奉仕し、少なくとも週に3時間を非営利の仕事に費やしている(11)から、企業も地域社会の一員としてコミュニティに貢献するのが当然と考えられていた。そのため、在米日系企業が現地の地域社会に溶け込むためには、コミュニティに対するフィランソロピーが必要不可欠だったのである。

  しかもこの時期、日本企業はアメリカに対しても不動産等の投機的な投資を繰り返し、アメリカを象徴するような企業や建物を買収していたため、市民の反感を買い「ジャパン・バッシング(日本叩き)」を招いていた。そして、その過程で、日本企業がアメリカで生き残るためには「企業市民」としての活動が必須であることに気付いたのであった(12)

  こうして、日本の企業は社会貢献活動に本格的に取り組むことになり、その中でいろいろなノウハウを学んでいった。そして、この経験があったからこそ、90年からの「フィランソロピー・ブーム」も花開いたのである。

2.バブル崩壊とボランティア・ブーム

 カネからヒト・モノへ

  しかしバブル経済が崩壊すると、一時のブームは去り、状況は一変する。急速な収益悪化に陥った企業はリストラを進め、交通費・交際費・広告費に貢献費を加えた「4K」を削減するなど、「フィランソロピーはバブル経済の徒花」であったと言われても仕方のない状況になったのだ(13)。実際、社会貢献活動への支出をみても、92年度より総額が減少に転じており、翌93年度は1社平均で90年度を下回り、参加企業数も減少している(表2(14)

  だが見方を変えると、深刻な不況の中で、企業も社会貢献支出を維持するために懸命に努力しているようである。と言うのも、先のデータを経常利益比でみると、93年度まで毎年上昇しているからである(表3(15)。これは、企業の間に、フィランソロピー活動が直接は利益にならないとしても、長期的かつ間接的には有益であるという「見識ある自己利益(Enlightened self-interest)」の考え方(16)が浸透しつつあり、それに根差した活動が展開されてきているためだと考えられよう。

  しかも、こうした金額の減少を補うように、最近になってボランティア情報の提供やきっかけ作りの体験プログラム・研修、マッチング・ギフト、さらにはボランティア休職・休暇制度、表彰制度、特別加点評価制度など、物的・人的支援が増えてきている(表4(17)。例えば、マッチング・ギフトは30社近くが採用しており、そのうち三菱電機では「92年は1,650万円、93年は3,950万円に達した」という。また、勤労者ボランティアセンターの調べでは、約120社がボランティア休職・休暇制度を導入しているし、評価制度も20社あまりが設けるまでになっている(18)

表4 社会貢献活動推進のための制度を新規に導入した企業

  このように、主として外資系や公共関連、オーナー系の大企業が中心ではある(19)が、何らかの形で社会貢献活動をする企業が7割にもなる(図1)など、フィランソロピーは徐々に定着してきているのである。

図1 社会貢献活動の実施状況

 自己実現としてのボランティア

  一方、変化はボランティアの現場にも起こっていた。それまで、ボランティアというと「無償で他者のために尽くす」というイメージがあり、それゆえに「正しい」とされていた。そして、そのために、多くの人にとっては近寄り難いものとなり、自分とは関係のない「特別な活動」だと認識されていたのであった。ところが近年になって、ボランティアを推進する側が、活動自体の「楽しさ」を意識的に受け止め、これを積極的に打ち出すようになってきたのである(20)

  また、こうした動向を受けて、行政も社会政策の中心課題としてボランティアを取り扱うようになった。そして、生涯学習の成果を生かす手段としてボランティアが注目されたのを始め、これまでの学校教育における学力・知識重視の姿勢の反省から、ボランティア活動を入試で評価するよう提案したり、参加型福祉社会の名の下に、福祉の担い手としてボランティアの活用を図るよう提唱したりしている(21)

  こうした中で、経済的な豊かさの達成と自由時間の増大により、多くの人々が精神的な豊かさや生きることの充実感を求めるようになり、自己実現の場を必要としている(22)。また、国際化の進展や環境汚染のグローバル化等によって個人の関心が広く社会に向けられるようになるとともに、高齢化が進展する中で、高齢者との交流機会や地域ケアの必要性が強く認識されるようになっている(23)。そして、こうした自己実現と社会意識の高まりから、若者には趣味などの楽しみ事の延長として、大人には「会社」以外の多面的な人生を生きる術として、高齢者には「人生80年」時代の生きがいを得る活動として、ボランティアが一躍脚光を浴びることになったのである(図2(24)

図2 ボランティア活動を始めた理由

図3 ボランティア活動者の推移

 ブームの到来

  こうして、ボランティア活動への関心は高まり、一種の「ブーム」となっている。全国社会福祉協議会の調査によると、全国の市町村社会福祉協議会ボランティアセンターに登録・把握されているボランティア活動者は年々増加しており、93年3月現在で469万人(80年の2.9倍)、グループ数は5万6,000グループ(同3.5倍)となっている(図3)。しかも、この人数は社協に登録または把握されている人数に過ぎないため、実際は700万人近くが活動しているとみられている(25)

  また、総理府の「生涯学習とボランティア活動に関する世論調査」(93年11月)をみると、ボランティア活動を「現在している」人が9.9%、「過去にしたことがある」人が20.2%で、合計が30.1%という状況である。これを10年前のデータと比較すると、それぞれ9.0%、13.7%で合計が22.7%であるから、この期間にボランティア活動経験者が増大し、日本のボランティア活動の裾野が広がってきたことがわかる(表5(26)

  その一方で、61.9%もの人々(女性66.5%、男性56.4%)が、ボランティア活動に関心があると答えている。これは10年前のデータとほとんど変わっていないが、今後ボランティア活動に参加してみたいと望んでいる人についてみると、この期間に33%から57.5%へと大幅にアップしている。それだけ、多くの人々がボランティア活動に積極的になっているのであろう。それに、ボランティアの報酬についても、10年前は「得るべきではない」が70%、「実費ぐらいならよい」も25%であったが、最近ではそれぞれ29%と41.5%となっており、ボランティアについての考え方も変容して、より弾力的なものになってきていると言える。

表5 ボランティア活動に関する意識

  加えて、ボランティア人口の増加に伴い、活動内容も広がりを見せている。ともすれば社会福祉活動こそがボランティア活動であると考えられがちであるが、現在では自然・環境保護に関する活動(35.6%)を始め、募金活動・チャリティーバザー(29.3%)や体育・スポーツ・文化に関する活動(28.3%)、社会福祉に関する活動(27.7%)、青少年健全育成に関する活動(27.6%)、交通安全に関する活動(20.4%)などとあるように、実に多彩な活動が繰り広げられている。

  こうした流れを受けて、最近、新聞や雑誌などでも、実際に活動している人の体験談や身近にできる具体的な活動の紹介など、ボランティアに関する記事を取り上げる機会が多くなっている(図4)。そして、94年4月からはNHK教育テレビで『週刊ボランティア』が放送され、活動の普及に一役買っているようである。

図4 ボランティアに関する報道件数の推移

  以上のように、世界的なNPO・NGOの台頭と呼応するかのように(27)、日本もボランティア・ブームとなり、多くの人々が活動に加わるようになっていったのである。

3.阪神大震災とボランティア

 震災ボランティアの活躍

  こうした中、95年1月17日の未明、戦後最悪の災害が起こった。言わずと知れた、あの「阪神大震災」である。ビルや家屋の倒壊、鉄道・道路網の崩壊、ライフラインの寸断、各地を襲った火災、避難所での劣悪な生活‥‥こうしたテレビや新聞などで報じられる光景は、多くの人々に激しい衝撃を与えた。そして「何かできるのではないか」「力になりたい」との熱い思いに駆られて、若者を始め、サラリーマンや主婦、医師など、多くの人々が続々と被災地に向かい、様々な支援をしていったのだ(28)

  一方、既存のボランティア団体も早くから支援に立ち上がった。例えば医療NGOのAMDA(アジア医師連絡協議会)は、地震発生当日から長田に医療チームを派遣し、救急医療活動を展開している(29)。また、翌日には大阪ボランティア協会や大阪YMCAなどが協力して「被災地の人々を応援する市民の会」が結成され、ポストイットによる受付で「日帰りボランティア」の活用に成果をあげた(30)。そして、19日から活動したピースボートは、長田で生活情報かわら版『デイリーニーズ』を発行し、被災者に必要な情報を提供していった(31)。他にも、曹洞宗国際ボランティア会(SVA)や世界の子どもたちに学校を贈ろう会(SESCO)、「国境なき医師団」、それに各地の社会福祉協議会など、海外を含め多くの団体が支援を行なったのである。

  また、震災後新たに組織された団体も活躍した。例えば「関西建築家ボランティア」は1月25日に結成され、住宅の被災度診断を行なっていたが、その後しばらくして、東灘区魚崎地区のまちづくりへの支援も始めている(32)。そして、他にも、灘区の「神戸元気村」を始めとして、東京農工大学で結成された「キャンプ・オリザ」のような学生ボランティア団体など、多種多様な団体が生まれた。なお、筆者の参加した「ファミリー国立」も、こうした団体の1つである(33)

  しかし今回の場合は、こうした個人的な活動だけでなく、企業の対応も目を見張るものであった。松下グループが3億円の義援金と乾電池23万個、懐中電灯5万個、ラジオ1万台、ストーブ2千台を拠出するなど、多くの企業が義援金のみならず食料、衣料、簡易燃料、薬品といった救援物資も提供した。また、宿泊場所や風呂等の施設の提供を申し出る企業は多かったし、ボランティア団体に備品提供を申し出たり、炊き出しを行なったりした企業も少なくなかったようである(34)。それに、朝日ボランティア基地やコープこうべボランティアのように、企業自らがボランティア活動に取り組んだ例も各地で見られたのであった(35)

  さらに、今回はボランティア団体同士、あるいは企業とNPOとの間で様々なネットワークが作られた。先の「応援する市民の会」の場合を例にあげると、大阪工業会や経団連、日本青年奉仕協会(JYVA)等が、物資の提供やスタッフの派遣といった後方支援活動で協力しているし、「市民の会」自身も、約160団体が加盟する「阪神大震災地元NGO救援連絡会議」に加わっていた。また、西宮ボランティアネットワーク(NVN)や東灘・地域助け合いネットワークのように、各地域ごとに関係するボランティア団体間でネットワークが作られ、情報交換などに役立てていた。そのうえ、今回新たに「情報ボランティア」が生まれ、パソコン通信やインターネットを介して安否情報や現地の様子などの発信をしていたが、彼らの間でもインターボランティアネットワーク(IVN)が結成されたし、慶應義塾大学の金子郁容教授らも、パソコンネットワーク同士をつなぐ「インターVネット」を立ち上げるなどしていた。こうして、それぞれの団体は何らかの形で結びついていたのである(36)

  このように、震災ボランティアは総じて目覚ましい活躍をした(37)。活動参加者をみても、地震発生から3ヵ月間で延117万人(図5)、12月20日現在では延135万5千人にも達したし、その内訳も、10代・20代の若者を中心として、初めての活動者が約7割であったという(図6)。ここに、ボランティアは新しい時代を迎えたのである。

図5 震災ボランティアの参加者数、図6 震災ボランティアの構成

 「ボランティア元年」

  そして、これ以降「ボランティア」という言葉はテレビや新聞などで頻繁に使われるようになり、一気に市民権を得ることになった。震災での活躍をみて、ボランティア意識が高まった人は多かったし(38)、震災ボランティア自身も、今後も活動を続けたいという者が61%にのぼる(図7(39)など、決して一過性のものではないことがわかる。また、これに触発されてか、夏休みを利用しての体験ボランティアには応募が殺到し、これまでの倍の問い合わせがあるなど(40)、人々の関心もこれまでになく高まっている。

図7 震災ボランティアの今後の活動希望状況

  一方、こうした状況を反映して、企業の側でもボランティア休暇制度の新設を検討するところが急増したし(41)、国家公務員についても、制度の導 入に向けて具体的な検討に入っている(42)。さらには、行政や政党も、ボランティア団体への支援策として公益法人基準の緩和などを内容とした法案作りに取り組んでおり、高校や大学などでも、ボランティア教育を取り入れるところが増えている(43)

  以上のように、ボランティアを取り巻く状況は大きく変化し、これまでにない盛り上がりを見せており、「ボランティア元年」と呼ぶにふさわしい状況になっている。そして、今後ますます多くの人々が活動に参加しようとしているのである。

  しかし、このことで逆にボランティアやフィランソロピーの解釈は多義的になり、曖昧なまま一人歩きしているようである。人によって、あるいは文脈によって、意味合いが異なっているのである。そこで、次に改めてボランティアとフィランソロピーの意味について考えてみよう。


[注]

(1) 実際に設立されたのは91年の11月である。ちなみに、コミュニティ財団とは、多くの寄付者から基金を寄付として受け入れ、あたかも1つの財団の中にいくつもの財団が存在しているような、財団の連合組織である。詳しくは、出口正之『フィランソロピー』(丸善ライブラリー、1993年)などを参照のこと。

(2) 島田晴雄編『開花するフィランソロピー』(TBSブリタニカ、1993年)、125-127頁、及び本間正明編『フィランソロピーの社会経済学』12頁参照。なお、経済白書が企業フィランソロピーを初めて取り上げたのも、この年のことである。

(3) 『ボランティア白書 1995年版』(日本青年奉仕協会、1995年)、7頁参照。

(4) 出口正之、前掲書、144-151頁参照。ちなみに『企業市民ジャーナル』は、94年4月に第6号が出て以来、今日まで第7号が出版されていない。

(5) この制度は、勤続3年以上の社員を対象に、社会福祉機関に勤めることを条件として、6ヵ月以上2年以内でボランティア休職が認められる、というものである。もちろんその間の給与は保障されており、毎年数人が老人介護や海外協力などで活躍しているという。

(6) こうした日本企業の活動の実例については、『朝日ワンテーママガジン THE 社会貢献』(朝日新聞社、1993年)や金子郁容『企業の社会貢献活動とは』(岩波ブックレット、1993年)、堀田力+さわやか福祉財団編『堀田力のふれあいボランティア・ガイド』(三省堂、1995年)などを参照のこと。

(7) 島田晴雄編、前掲書、139-140頁参照。

(8) ただし、これは経団連が把握しているもの(経団連法人会員、1%クラブ法人会員約1,000社)だけである。

(9) 本間正明編、前掲書、11-12頁、及び『ESP』1994年9月号(経済企画協会)、31頁参照。

(10) 松岡紀雄『企業市民の時代』(日本経済新聞社、1992年)、102頁より。

(11) P・F・ドラッカー『非営利組織の経営』(ダイヤモンド社、1991年)、vii頁より。なお、アメリカのフィランソロピー活動の実例は、丹下博文『検証・社会貢献志向の潮流』(同文館、1994年)や松岡紀雄、前掲書などを参照のこと。

(12) 島田晴雄編、前掲書、184-185頁、及び『ESP』同号、32頁参照。

(13) 本間正明編、前掲書、13頁参照。

(14) 注8と同様。

(15) 注8と同様。

(16) 出口正之、前掲書、63-64頁参照。

(17) 注8と同様。

(18) 「射留めた社会貢献主役の座」『週刊東洋経済』1994.12.10号、64-65頁より。

(19) 同上。

(20) 早瀬昇「変わりはじめたボランティア」『季刊窓』第20号(窓社、1994年)参照。

(21) 『ボランティア白書1995年版』8-9頁参照。なお、こうした行政の施策については多くの異論が出ているが、詳しくは第4章を参照のこと。

(22) 詳しくは第1章を参照のこと。

(23) 『国民生活白書』(前掲)、12頁参照。

(24) 若者については栗原彬『人生のドラマトゥルギー』(岩波書店、1994年)、101頁、大人については同書120頁、高齢者については田中尚輝『高齢化時代のボランティア』(岩波書店、1994年)、39頁参照。

(25) 「射留めた社会貢献主役の座」(前掲)、62-63頁参照。

(26) ちなみに、NHKの「ボランティア社会調査」(94年6月)でも、ボランティア活動を「現在している」人が8.7%、「過去にしたことがある」人が22.6%と、同じような結果になっている。

(27) これについては、Lester M. Salamon "The Rise of the Nonprofit Secter" Foregin Affairs, 1994, July/Augest などを参照のこと。

(28) 『朝日新聞』1995年1月30日の記事によると、震災後、神戸・西宮・芦屋市に登録されたボランティアは、約1万5,000人にのぼったという。

(29) AMDAについては、本間正明・出口正之編『ボランティア革命』(東洋経済新報社、1996年)5章を参照のこと。

(30) 「市民の会」の場合、ボランティア活動の内容と場所、必要人数、性別、集合時間などを書いた「求人票」に基づき、ボランティアが好みの活動先を選び、そこに自分の名前を書いたポストイットを貼っていく、という方式を採った。詳しい話については、NHK取材班『ボランティアが開く共生への扉』(NHK出版、1995年)や大阪ボランティア協会『月刊ボランティア』95年3月号などを参照のこと。

(31) 『デイリーニーズ』はB4版の両面一色刷り、手書き原稿の日刊紙である。創刊号は3,000部、第5号からは5,000部の部数が刷られ、最終的には1万部まで増やされた。詳細は、本間正明・出口正之編、前掲書、8章を参照のこと。

(32) 「関ボラ」については、本間正明・出口正之編、前掲書、5章を参照のこと。

(33) 「ファミリー国立」の活動については、ファミリー国立事務局編『それぞれの探し物―震災ボランティアは何を見たか―』(1995年)に詳しくまとめているので、そちらを参照していただきたい。

(34) 出口正之「スイート・カップル」『ESP』95年9月号、69-70頁参照。

(35) 朝日ボランティア基地については、本間正明・出口正之編、前掲書、4章を、コープこうべボランティアについては、同書の3章を参照のこと。

(36) 震災ボランティアのネットワーキングについては、本間正明・出口正之編、前掲書、3章及び8章、朝日ソノラマ編『ボランティア元年』(朝日ソノラマ、1995年)などを参照のこと。なお、インターVネットは、5月1日より、震災支援に限らない情報コミュニティ「VCOM」として再スタートしている。

(37) しかし中には、自分の思い描いていた活動ができないために怒って帰ってしまったり、自分で問題を抱えすぎてカウンセリングを必要としたボランティアもいたと言う。

(38) 産能大学が新入社員のボランティア意識を調査したところ(95年4月)、阪神大震災でのボランティアの活躍をみて、自身のボランティア意識が高まったという人は、男性33.8%、女性33.6%となっている。

(39) 朝日新聞の調査によると(95年4月17日掲載)、活動をさらに続けたいと考えている人は8割にのぼっている。

(40) 『東京新聞』1995年8月26日より。

(41) 経団連が3月20日にまとめた会員企業の大震災支援状況によると、ボランティア休暇制度を使って復興活動に参加したのは77社、延904人であり、ボランティア休暇制度のない会員企業438社のうち55%にあたる241社が今後新設を検討すると答えている。

(42) 『サンケイ新聞』1995年2月18日。

(43) 『読売新聞』1995年7月2日より。なお、支援法案の詳細については、第4章を参照のこと。

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