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連隊館学士論文>第1章

学士論文 『ポスト企業社会とボランティア』

第1章 企業社会のエルゴロジー

1.経済至上主義の功罪

 過労死という現実

  「ウーッとうめくのに気がついて朝起きたら、居間で苦しそうに胸をかきむしっていました」。これは、運転手Fさんの倒れた時の様子を話した妻M子さんの言葉である。死亡は88年9月。42歳で急性心不全であった。

  Fさんは運輸会社の社員。ウイスキーの原酒の運送が仕事である。西宮市の工場を起点に仙台、柏、栃木、鳥栖の各工場を往復していた。1日目の午前中に荷積みをして西宮を出発し、2日目の朝に到着後、開門を待って荷降ろし、そこでまた荷積みをして別の工場を経由、3日目に西宮に戻るという2泊3日の運行が基本パターンである。そのまま家に帰らず、続けて2泊3日の仕事に出る「トンボ運行」も頻繁にあったと言う。死亡3ヵ月前の88年6月には連続5回のウルトラ「トンボ運行」で12泊13日間休日なしで仕事に追われ、泊まりは車内。やすらぎとは無縁であった。

  85年のFさんの賃金明細書に記載された残業時間は年間 3,096時間。また、エンジン記録から割り出したFさんの労働時間(拘束時間)は、死亡した年の1月から9月の倒れる時までで4,050時間、年間に直すと5,700時間にもなる。死亡前1週間は仙台まで2往復、その走行距離は約3,500kmと推定されている。長時間、深夜、長距離運転の三重苦を一身にかぶっていたのである(1)

  このように、日本では、非人間的な労働により「過労死」まで生み出している。では、その実態はどうなっているのだろうか。

 働きすぎの日本人

  まず、労働時間を見てみよう。日本では毎月勤労統計調査が一般に使用されているが、それによると、年間労働時間は、Fさんの亡くなった88年は2,111時間、翌89年は2,088時間である(図1)。しかし、この統計は企業側の表向きの回答をそのまま集計したものであり、企業が認知した労働時間(賃金が支払われる部分)を示しているに過ぎない。すなわち、毎勤統計では賃金不払い残業(いわゆるサービス残業)や中間管理職の残業、風呂敷残業、業務のための「自主研修」、営業接待業務などについては、ほとんどカウントされていないのだ(2)

図1 年間総労働時間の推移

  一方、もう1つの統計である労働力調査をみると、88年は 2,480時間、89年は2,454時間であり、毎勤統計より350時間余り長くなっている(図2)。それは、この調査は労働者個人の記録を対象としており、残業手当が支給されているか否かにかかわらず、実際に働いた時間が記入されているためであり、毎勤統計よりはよほど実態に近いと言えるだろう(3)。しかも、これを男女別にみてみると、88年では男性雇用者のうち24.3%に当たる685万人が3,100時間以上の超長時間労働を行なっている(図3)。過労死の調査によると、年間労働時間で3,000時間以上が過労死の危険性を有するという(4)から、男性の実に4人に1人が過労死予備軍なのである(5)

図2 年間総労働時間の時系列上の比較
図3 超長時間労働の雇用者の推移(男性)

  また、最近では労働の量だけでなく質も高まっている。すなわち、これまで機械化の推進・コンピューターによる管理技術の導入など技術進歩の成果を取り入れることで、生産現場だけでなく、輸送・営業・管理等の各部門における労働の肉体的負担も軽減され、軽作業化がもたらされた。だが、それ故に余裕時間の削減や作業のスピード・アップが進み、それが勤労者の健康に大きな負担をかけている。

  さらに、最近の特徴としては、深夜・不規則勤務の増加があげられる。例えば、半導体の製造装置に代表されるハイテクの生産設備は経済的な陳腐化が速いため、効率を追求しようとすると、設備の稼働率を高めて減価償却を出来るだけ早期に行なう必要が生じ、2直あるいは3直の生産体制が組まれる。また、金融・証券取引は、国際化と通信革命の進展によって1日の営業活動が著しく長くなっている。こうした深夜作業、ローテーションによる交替作業は、労働者のバイオリズムを狂わせ、疲労の蓄積をもたらしやすく、働く者には好ましくないのである(6)

  日本では、このようなエルゴロジー(7)に反する労働が平気で行なわれており、今やそれが子供の世界にまで「受験戦争」という形で広がってきている(8)。諸外国から「働き過ぎ」と言われても無理もない状況である。確かに、こうした血のにじむような努力があったからこそ、戦後の日本は荒廃の中から復興し、奇跡的な高度経済成長を成し遂げ、「経済大国」と言われるまでになったのであるが、その代償はあまりに大きかったと言えるだろう。では、こうした状況はどのようにして生み出されてきたのであろうか。

 「企業戦士」を生み出すもの

  長時間労働を生み出す要因としては、低賃金のためであるとか国民性のためであるとか諸説あるが、最大の要因と考えられるのが、いわゆる「日本的経営」システムである(9)。そして、その中でも、企業利益のために残業もいとわずに身を捧げて働く者を高く評価し、賃金・昇進面で優遇する一方、残業を拒否したり休暇を長く取るような者に対しては解雇・処分まで行なう、という企業の労務管理システムが大きな意味を持っていると言える(10)。そこで、次にこの中身を見ていくことにしよう。

  まず第1は、企業目標の達成に貢献する「能力」、すなわち数量で測られる「業績」の大きさによって仕事が評価され、役職・昇進昇格・昇給などが決められていくことである。そして、この評価は企業内における労働者の人間関係の序列(上下関係)を決めるとともに、企業の活動に対する評価という枠組みを突き破って、労働者の人間としての評価にまで拡大していき、やがて、この傾向は労働者の家族・地域へと広がり、社会生活全体を貫く規範として受け入れられていくのだ。

  そして第2は、上記の「能力」主義が労働者の社会的地位・生活水準、さらに人間としての評価にまで一般化される中で、労働者たちに「出世」を求めての競争を強いることである。「業績」は何%などと数量で表示されるから、本人にも同僚の労働者にも一目瞭然である。そのため、「業績」主義は、他者を追い抜き踏み台にするという、企業への貢献度を巡っての競争を熾烈にさせるのである。そのうえ、この競争の原理は、企業内の労働者のみならず家族生活や地域生活にも波及している。

  第3は、数人~十数人単位の小集団を作ることで、上記の「能力」競争を組織し、労働者をより細かく管理しようとするとともに、集団単位の目標を達成するために労働者個人の自己犠牲的な労働を強要することである。ここでは、企業への忠誠心、企業目標達成のための連帯責任意識が「正義」となるため、現場では、労働者は高密度で不規則な長時間労働を強いられていく。こうして、たとえ本人が不本意であっても、残業を拒否することは企業内の「正義」に反するのでできなくなる。

  第4は、労働者が取り結ぶ人間関係や生活活動を企業の網の目の中に包み込み、企業が管理しようとすることである。具体的には、労働者がたどるであろうライフステージごとの課題(親からの自立、結婚、住宅の確保、子供の出産と子育て、教育、老後の準備と生活設計、定年後の生活など)から生じる様々な要求に対応するシステムを作るのである。このシステムは企業内総合福祉を柱とするが、これにより、働く以上、多少不満があってもそこに「生きがい」を見い出さざるを得なくなる。

  以上の4つの要因は、相互に絡み合いながら労働者を高密度で不規則な長時間労働に巻き込む。日本の労働者は、かつての奴隷のように鎖では縛られていないが、厳格な労務管理システムのもとで、目に見えない鎖で精神的に幾重にも縛られているのだ。こうした中では、労働者は「企業内人生」に生きがいを求めざるを得なくなるし、逆に、これに適応した場合には、終身雇用制や年功序列賃金などにより、生活と社会的地位は保障され、やればやるだけの成果が(基本的に)得られるので、快適でさえある。こうして、労働者は「意識革命」を果たして、「能力」競争を通じて企業目標の達成に自らの「生きる喜び」と「労働の誇り」を感じ取る「企業戦士」となるのである(11)

2.企業社会の変容

 このように、企業社会は目覚ましい経済成長を成し遂げ、日本を「経済大国」にまで押し上げたが、その一方で過労死や受験戦争に象徴されるような諸矛盾を生み出してきた。しかし、激動の現代世界の中で、その限界が露呈されるにいたり、変容を迫られている。

 内外諸情勢の変化

  まず、こうした「働き過ぎ」の問題は、国内ではなく諸外国、特に欧米諸国において批判の対象となった。と言うのも、日本との貿易摩擦が深刻化する中で、その原因の1つとして取り上げられたのである。すなわち、「働き過ぎ」るためにモノが大量生産され、他方で労働者は時間もなく疲れきっていて内需が拡大しないため、多くの製品が輸出されると考えられたのだ(12)。しかも、日本企業の海外進出により日本的経営システムが輸出されたため、現地の文化やライフスタイルとの間で摩擦が生まれ、大きな問題になっている(13)。政府は、日本人の勤勉性を「優秀な民族の証」などと思っていたようだが、結局、こうした状況を鑑み、時短を促すことにしたのである。

  また、国内においても、戦後の高度経済成長を支えた経済社会の与件に大きな変化がみられる。人口構造をみると、出生率の低下等により若年層の人口が減少する一方、平均寿命の伸長等から老年人口比率が上昇している。その結果、若年層が多く高年層が少ない人口構造を前提とした企業の雇用システムや社会保障システムは見直しを迫られている(14)。こうした中、高齢者や女性、あるいは外国人労働者の活用が不可欠となろうが、高齢者や女性には過労死を生み出すほどの労働は酷であるし、外国人労働者の場合は国際問題にまで発展しかねない。そのため、少なくとも今までのような「働き過ぎ」は見直さざるを得なくなっているのだ。

  さらには、労働者の意識にも変化が起きている。これまでは、少しでも豊かになることを目指して一生懸命働いてきたが、その結果として、巷にはモノが溢れるようになり、物質的な「豊かさ」が実感できるようになった。しかし、当面の夢を実現したことで逆にこれまでのあり方が問い直され、今までの人生のむなしさに気づき始める。受験競争に巻き込まれ、過労死するほど働かされ、家庭内離婚(15)で家族の交流も少ないといった状況を憂い、もっとゆとりのある、もっと充実した生き方をしたいという欲求が高まっているのだ。しかも、バブル崩壊以後、労働時間の短縮も徐々に進んでいる(16)ため、モノの充足と不況による自由時間の増加の中で、自分の生活を見直し、自己実現を図っていこうとする動きが強まっているのである。

 システムの制度疲労

  こうした諸情勢の変化の中で、企業社会を支えてきたシステムが制度疲労をきたしている。

  すなわち、企業社会を支えてきた日本的経営システム、中でも重要な役割を果たしてきた終身雇用・年功序列・企業内組合の「三種の神器」は、「右肩上がり」経済の下で労働者の生活を保障し、雇用の安定を図ってきた。しかし、経済の成熟化(=経済成長率の鈍化)と人口構造の変化(=高年齢化)の中で、企業は人件費の抑制とポスト不足に悩まされている。そのため、コストのかかる中高年層をリストラの対象とする一方で、年功賃金カーブの勾配を緩和し、能力主義を導入するなど、日本的経営システムは、年功序列型の人事制度から能力・成果重視型へと変化してきている(17)。だが、これにより労働者の生活の保障は難しくなるので、「会社人間」としてしゃにむに働くメリットが減退しているのである。

  また、従来、企業は社会が必要とする財やサービスを供給し、株主へ配当を行ない、従業員に雇用の場を提供し、政府に納税し、社会保険料を負担していれば事足りた。しかし、今や企業は社会的に大きな影響力を持つようになっており、国際社会の中でも注目を浴びる存在となっている。それに、企業は地域社会から遊離した存在ではなく、その活動は地域社会に支えられ、地域社会と共存している。このような認識の下、企業も社会的存在であるから、地域社会を含め広く社会のあり方に関与し、何らかの貢献をしていくべきだという意識が強まっている。そして、この「企業市民」の考え方から、企業の本業とは違った社会貢献活動としてメセナ(文化支援)やフィランソロピー(社会貢献)への取り組みが進んでいる。こうした動きが本格化すれば、従来のような「働き過ぎ」の企業社会は、企業の社会的イメージを向上させるために早急に改善されざるを得なくなるのだ(18)

 会社から社会へ

  こうした中で、日本の法定労働時間は、94年4月から原則として週40時間となり(一部の中小企業等を除く)、年間労働時間も不況による残業減などで年々短くなっている。週休2日制の導入も進むなど、時短がともかく着実に進んでいるので、働く人々も以前に比べかなりゆとりを持てるようになったようである(19)

  また、人間らしく生きたいという自己実現欲求の高まりから、物質的な「豊かさ」よりも精神的な「豊かさ」が求められるようになってきている(図5)。そして、企業社会におけるメリットが減少するにつれて、「会社」から脱却して家庭や地域「社会」に自らのアイデンティティを見い出そうという動きが、徐々にではあるが出てきているのだ(20)

図5 「豊かさ」の推移

  こうした状況を反映して、社会に目を向ける気運や社会貢献意識が高まりつつあり(図6)、社会との係わりの意義を見直していこうという意識が芽生え始めている。中でも、最近になって、社会的連帯感を回復したり精神的な充足感を得るための方途の1つとして、ボランティア活動が注目されているのである(21)

図6 社会に対する意識の変遷

  そこで、以下の各章でその動向を見ていくことにしよう。


[注]

(1) 加藤哲郎「比較政治」講義資料(1994年度)より。なお、他の過労死の事例については、過労死弁護団全国連絡会議編『過労死!』(講談社文庫、1992年)や川人博『過労死社会と日本』(花伝社、1992年)などを参照のこと。

(2) それでも、諸外国と比べると圧倒的に労働時間が長いことがわかる。製造業生産労働者の年間総労働時間を欧米主要国と比較すると、88年において日本は2,189時間となっているが、アメリカ1,962時間、イギリス1,961時間、ドイツ1,642時間、フランス1,647時間であり、230~540時間長く、大きな格差がある。

(3) これは、総務庁が全国から選ばれた約10万人を対象として行なう、個人側からの調査であり、毎月の末日に終わる1週間について行なわれる。

(4) 加藤哲郎『社会と国家』(岩波書店、1992年)、71頁より。

(5) しかし男性ばかりが大変とは言えない。91年の女性の労働時間と家事時間を合わせた1週間の総労働時間は74.4時間(家事時間は1日3時間52分)に達し、男性の61.7時間(家事時間は1日24分)を上回っている。

(6) 経済企画庁経済研究所『経済分析』第133号「働き過ぎと健康障害」(1994年)、67-68頁参照。

(7) エルゴロジー(Ergology)とは、人間の自然性に立脚して、環境の中での生活のあり方と労働能力の関係を研究する学問である。なお、章題の場合は、この視角をやや広げて、企業社会の誕生・成長・衰退のプロセスに適用している。

(8) 受験戦争については、久富善之『競争の教育』(労働旬報社、1993年)を参照のこと。

(9) 日本的経営システムとは、終身雇用・年功賃金・企業内組合の「三種の神器」にとどまらず、企業間の株式持ち合い、長期的経営戦略、品質管理(QC)や小集団・提案制度、社員の企業内での教育・技能訓練(OJT)、企業内福祉などを意味する。

(10) 企業社会の構造分析については、川人博、前掲書や基礎経済科学研究所編『日本型企業社会の構造』(労働旬報社、1992年)などを参照のこと。

(11) 上記の分析は、山科三郎『自由時間の哲学』(青木書店、1993年)38-66頁に基づいている。なお、こうした「企業戦士」が過労死にまでいたるプロセスは、過労死弁護団全国連絡会議編、前掲書や小木和孝『現代人と疲労<増補版>』(紀伊国屋書店、1994年)などに詳しい。また、図4を参照のこと。

図4 過労死発症の模式図

(12) 経済企画庁経済研究所、前掲書、2頁参照。

(13) 松原聡編『会社から社会へ』(東京書籍、1995年)、53-54頁参照。

(14) 経済企画庁国民生活局編『個の実現を支える新たな絆を求めて』(大蔵省印刷局、 1994年)、4頁及び26頁参照。

(15) 実例については、林郁『家庭内離婚』(ちくま文庫、1986年)を参照のこと。なお、生命保険文化センターが最近まとめた「ヒューマンリレーションズの将来展望と生活保障に関する調査研究」によると、夫婦は離婚すべきでないという意識で辛くもつながっている「しがらみタイプ」が20.6%、できればつきあいを避けたいという冷え切った「無関心タイプ」が14.4%にのぼっており、夫婦の35%が家庭内離婚状態にあるようである。

(16) 図1図2図3参照。しかし、現実には、今だに過労死が存在している。例えば、過労死弁護団が94年の12月24日に実施した電話相談「過労死110番」には、全国から90件の相談が寄せられ、このうち死亡したケースの労災補償相談が48件で最も多かった。相談内容は「週休2日とは名ばかりで、月に3日ほどしか休めず、連日午後11時まで仕事を続けた末に死亡」(営業職)、「技術開発を担当し、連日深夜まで勤務し、通勤途中に突然死亡」(技術職)などである。同弁護団では「相談の件数や内容が、企業で過重な労働が現在も続いていることを証明している」と話している。

(17) 松原聡編、前掲書、54-56頁参照。

(18) 経済企画庁国民生活局編、前掲書、27頁参照。

(19) しかし、労働省「労働時間等総合実態調査」によると、95年5月から6月の調査で、週40時間労働を実現している事業所の割合は38.7%にとどまっている。これを事業所規模別に見ると、従業員301人以上の大規模事業所では95.1%と高い達成率になっている一方、従業員30人以下の事業所は37.3%と低く、企業規模による格差が鮮明になっている。

(20) こうした動向については、鹿嶋敬『男の座標軸』(岩波新書、1993年)や松原聡編、前掲書などを参照のこと。

(21) 経済企画庁編『国民生活白書(平成5年版)』(大蔵省印刷局、1993年)、115-117頁参照。

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