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五輪館
毒語館個人的体験記

[2005.1]

個人的体験記

震災10年

序.二の舞

  阪神・淡路大震災から10年…この時にはまた神戸に行こうと、5年前に決めていた。だから「世界自然旅」は2004年末に終了する予定だったし、その後アフリカ編を追加するにあたっても、この時期は空けておいた。節目の年ぐらい訪れないと、何かやり切れない気がしていたのだ。

  この時期に神戸を訪れるのは、べつに政治家的なパフォーマンスや物見遊山のためではない。神戸の復興ぶりを確認すること、被災者に「まだ忘れていない」と伝えることもあるが、一番大きいのは、実は自らの心に刻んだ思いを確認することにある。あれだけの大災害も、時が経てば風化は避けられない。ならば現地に足を運び、10年後の様子を拝見することで、それを再確認する必要があると感じていた。

  そんな折、昔のメンバーから連絡が入った。曰く、10年目の神戸にみんなで行きたいので参加希望者を募って欲しい、と。だが、その時私はネパールのカトマンズにおり、とても交渉人を演じることはできない。それに、5年前の二の舞になるのは避けたかった…私には人を動かすような魅力やカリスマ性はないので、私が声を掛けたところで、人が集まる見込みはゼロ。他の人にお願いした方が間違いなく良いので、ここは丁重に断り、成り行きを見守ることにした。

  だが、それでも他のメンバーの反応は鈍かった。1週間ほど前に確認を取ってみると、元の2人以外に芳しい答えは返ってこなかったため、その2人も行くのを止めたという。結局5年前の二の舞…誰も行かないというのは残念な限りだが、考えてみればそれも仕方のないことなのかもしれない。あの頃主力だった大学生は、もう30歳前後。私のようなニートはおらず、皆社会のしがらみの中で生きている。そんな状況で10年前の、それも一時期の話を持ち出されても、そう簡単に動くわけにはいかないだろう。

  こうして、またしても一人だけで現地に赴くこととなった。

1.展示巡り

  現地に向かうにあたっては、いったん(事実上の)本拠地・蓼科に出向いてデータのバックアップや更新作業等を行い、そこからバスで大阪へ。そして新大阪のYHに泊まり、翌15日(土)に神戸入りとなった。

  神戸に向かう道中、ぼんやりと車窓を眺めていたが、ぱっと見ではもう震災の爪跡は見当たらない。やっとそれを垣間見たのが、数日前の「プロジェクトX」で取り上げられていたJR六甲道駅。ここは線路の橋げたなどが無残に壊れたので、その新旧で色の違いが見られた。しかし、それ以外は普通の街並みが展開するばかりであった。

震災が奪ったもの
命 仕事 団欒 街並み 思い出

  このうち、街並み以外は未だ回復されてはいまい。精神面と経済面は、10年という歳月をもってしても回復は容易ではないのである。また街並みにしても、小奇麗なマンションやビルが林立し、建物の復興には目を見張るものがあるが、決して元の街が戻ったわけではない。地元の人は今、何を思うのだろう…

  さて、今回は年末まで海外に出かけていたせいもあって、現地でいつ何が行われるのか、ろくに調べていなかった(大阪に向かうバスの車内で、岩波新書『阪神・淡路大震災10年』を読んだぐらい)。そこで、まずは情報収集。三宮駅前の書店に足を延ばすと、さすがに震災関連のコーナーがあって、10周年を記念した新刊本もいくつか陳列されている。それらを物色したら、バスターミナルに出向いて帰りの便を確認…すると、偶然にも「震災10年 神戸からの発信」という冊子があり、主なイベントを知ることができた。これで驚くとともに安心したのは、この企画が12月から1年間行われていること。神戸では1月17日前後だけでなく、まだこれから11ヵ月、震災10年の催しは続くのだ。

  昼時になって冷たい雨が降り出したが、この情報をもとに、まずは神戸市役所内で開催されている展示に出かける。訪れた時には誰もいなくて寂しい状態だったが、時間が経つにつれポツポツと人が現れてきた。それでもまだお寒い状態が続く中、展示された写真やビデオ映像などを眺め、震災10年記念のCD-ROM(神戸市の広報活動をまとめたもの)を購入してその場を去った。

Event at Kobe City Hall
神戸市の展示イベント

  ここからセンター街をブラブラ歩きながら元町方面に向かい、北上して「北野工房のまち」にやって来た。こちらではイベント「まちの記録者たち展」が行われているので会場に入ると、人はまばらながら、体育館のようなスペースに展示が並んでいる。こちらは6人の専門家が音・映像・写真・詩によって震災の記録を伝えるもので、なかなかの見応えだ。

  じっくり鑑賞したら山の手に分け入り、神戸北野YHにチェックイン。すると周りは中高年の方ばかり…なんでも今日明日と震災10年記念のウォークラリーが行われているので、それを趣味とする人たちでごった返していたのだ。日本のYHは高齢化が進んでいるが、ここまで極端なのは初めて(平均年齢60歳ぐらい)。しかも彼らは震災10年など気にもかけず、明日には帰る人ばかり。何だかなぁ。

  翌日は予報に反して好天に恵まれたので、3年前にできた「人と防災未来センター」に向かう。ここにはかつて神戸製鋼などがあり、現在は「HAT神戸」と呼ばれる一角。震災を風化させることなく後世に伝えていこうと建てられた施設で、修学旅行の定番スポットになっているらしい。そしてガラガラのバスに揺られて到着すると、たくさんの人で賑わっていてビックリ。ようやく震災10年という雰囲気になってきた。

  ここの観覧は順序が決まっていて、4階で映像を見てから下の階に下りていく。今日は混んでいるため45分待ちの11時から、しかも特別な行事があるので午後1時までしか見られないという。今さら戻るわけにもいかないので待機し、11時から上映開始となったが、いきなり地震の再現映像が始まった。これはかなりリアルで迫力があり、小学生の集団は「めっちゃ怖いやんけ!」と興奮気味だ(被災者にはキツイかもしれない)。その後、震災直後のまち(模型)を抜けるとホールに出て、ここで復旧・復興に至るドキュメンタリーを観るが、こちらは一転、涙腺を刺激するようなミニ映画だ。

  これだけで十分感動的だが、階下に下りると様々な展示物が並び、こちらも見応え十分。ちゃんと観ようとすると膨大な時間を要するが、惜しむらくは時間制限があること…そのため最初はじっくり見ていたが徐々に時間がなくなり、最後ははしょらざるを得なかった。

  こうして1時過ぎに外に出ると、なんだかとても物々しい雰囲気になっていた。聞けば、まもなく天皇が現れるらしい。なるほど、あの「特別な行事」というのは天皇の観覧のことで、私はそのとばっちりを受けてしまったわけだ。それからバスで三宮に戻り、東遊園地に出かけてみると、明日の準備が急ピッチで行われていた。いよいよだな、との思いを強め、後は周囲を散策して宿に戻り、明朝に備えた。

HAT Kobe
人と防災未来センター

2.雨の中…

  当日は5時46分に間に合わせるため、4時半に起床し、手短に支度を整えて、冷たい雨の中を東遊園地へと歩いていく。駅を過ぎ、公園が近づくにつれて人が多くなり、会場に到着すると、既に「1.17」と配された竹灯篭がともされていた。さすがに10周年とあって、マスコミを筆頭に大変な賑わいだ。

  ここで部外者が関わるのは申し訳ないと思ってしばらく傍観していたが、折からの雨でなかなか灯がつかない…これでは鎮魂の願いが届かないと思い参戦、火付け役に回る。しかし、雨はむしろ強まり、蝋燭は芯まで濡れてしまっているので、思うようにはいかない。何とか頑張って5つ灯したものの、それが限界であった。

Lights
鎮魂の灯をともす

Snow Jizo
雪地蔵

Kobe 1.17
東遊園地より

  そして、運命の5時46分。亡くなった方の哀しき涙の中で黙祷…10年前、こんな暗い中で突然都市が壊滅したのだから、実際に被災された方の恐怖は相当なものだったろう。少しでも想像力を働かせ、その時に思いを馳せながら祈りを捧げた。

  それから慰霊と復興のモニュメント前で献花式が始まったが、あまりに人が多くて入れず、竹灯篭の前でしばらく物思いにふける。見渡せば、灯篭に祈りを捧げる人、お経を唱える人、涙を浮かべる人…それぞれの10年がそこにはある。私などが想像もできぬほど、強い恐怖と深い悲しみに襲われたことだろう。私はそれを実感できないけれど、せめて風化させずに心に刻みつけねばならない、と気持ちを新たにしたのであった。

  やがて夜が明け、人も徐々にまばらになってきたところで退散する。気がつけばもうあの時から1時間半が経過し、三宮駅では通常の通勤ラッシュが始まっていた。

  次に向かうは、東灘区魚崎。震災ボランティアでお世話になった場所だ。わずか十数分で駅に着いてしまったので、ひとまず小学校の周りを散歩してみることにした。

  まだ8時前なので登校する児童の姿はなかったが、校舎は以前の原型を留めつつ、新しくなっていた。そして、敷地を囲む高いフェンス…登校時間後に改めて訪ねてみると、扉は閉められ、外部からは立ち入りできないようになっていた。児童殺傷事件などが起こったので仕方ないが、何か今の物騒な世の中を象徴しているようである。

震災が残してくれたもの
やさしさ 思いやり 絆 仲間

  震災という極限状態が、こうしたことの必要性を認識させてくれたが、今の世の中では、むしろ失われゆくばかりだ。震災の教訓は、中越地震などの災害では生かされつつあるものの、日常生活においてはますます廃れている…

Uozaki Elementary School
新校舎

  震災の慰霊碑は、小学校に隣接する福祉施設「わかばサロン」の庭にある。8時前に訪れると、慰霊祭は9時からということで出直し。遅い朝食を食べたりして過ごすが、雨は一向に止む気配がない。「明け方には止む」と言っていたのだが。

  雨が弱まるのを待っていると、いつの間にかもう9時半になっていたので再出陣。慰霊碑前ではちょうど小学生が集団でお参りしているところで、地元の人たちもちらほら現れては花を手向け、祈りを捧げていた。少し待機し、人が少なくなったところで入場。鎮魂の儀式を執り行った。

  慰霊祭は昨日今日の2日間行われているようだが、周りには知った人は見当たらない。せめて「行方不明」になっていた高砂氏の連絡先は聞こうと、記帳を済ませたところで尋ねてみる。すると今は西宮に引越し、今日は仕事で来られないとのこと。こうして携帯電話の番号だけ教わり、懐かしの場所を去った。

Monument at Uozaki
慰霊碑

Monument 1.17
1.17 希望の灯り

  続いてはHAT神戸に向かい、兵庫県立美術館を訪れる。今日から震災10周年記念の展覧会が行われ、昨日天皇も観覧していたようなので寄ってみたが、芸術的素養のない者が見ても、その価値がよくわからない。もちろん、印象に残る絵などはあるのだが…

  そうこうするうちに正午が近づいたので退場し、徒歩数分の「人と防災未来センター」に出向く。すると大勢の人だかりで、相変わらずの雨の中、皆正面のオーロラビジョンを見つめていた。ここはメモリアル・ウォークの終点、しかも県主催の追悼式の別会場という位置づけなのだ。そして、正午の黙祷…船の汽笛が鳴り響く中、再び10年の月日に思いを巡らせたのであった。

  それからまもなく、昨日はしょってしまった展示を再び見ることにする。今日は特別にタダで入れるので混雑していたが、再現映像、復興ミニ映画とも色あせることなく見入り、階下の展示もゆっくり見て回って、この一大事を心に焼き付けた。

  外に出るとようやく晴れ間が広がるようになり、気持ちの良い天候となった。昼食を済ませたら再び東遊園地に移動し、「1.17 希望の灯り」や慰霊と復興のモニュメントなどを見学する。どちらも数多くの花で彩られ、訪れる人が絶えない。モニュメント下の瞑想空間も人で一杯で、皆祈りを捧げている。すすり泣く人、開き直って記念撮影する人、花に思いを重ねる人…ここにもそれぞれの10年が見られた。

  そして、5時になったところで蝋燭が配られ、竹灯篭への点火が始まった。45分しかないので私も十の灯をともすが、灯はあっという間に広がり、後から来た人は付ける場所がなくなってしまった。勇み足だった、と反省したが、こうなっては仕方がない…そして、再びの5時46分。皆で黙祷を捧げ、合掌した。

  午後の部は早朝ほどの人ではなかったが、その後も学校帰りの学生、会社帰りのサラリーマン、家族連れなどが続々と現れ、人出は途切れない。今回はマスコミも大々的に取り上げているようで、夕方のニュースは各局で生中継されていた。これで今一度震災のことについて、少しでも多くの人が考えてくれれば良いなと思いながら、神戸を後にしたのであった。

Candle lights
今度はちゃんと点いた

Candle lights 1.17
心の灯は消えない、消さない…

3.帰郷

  深夜バスで東京に戻ったら、とにもかくにも国立に向かった。昔懐かしの「ファミリー」を訪れ、簡単な報告をするためである。あまりに懐かし過ぎて、昔あった場所に行ってしまったのはご愛嬌。すぐに引き返し、今は紀伊国屋近くに移った店に出向いた。

  中に入ると、店主の吉川さんが歓迎してくれた。もう9年ぐらい(?)会っていないと思うが、お元気そうで何よりである。そしてお土産に神戸新聞朝刊と神戸市発行のCD-ROMをお渡しし、積もる話に花を咲かせた(実は、この吉川さんが神戸に行こうと最初に言い出したのだが、結局断念してしまった)。あれからはほとんど交流がなく、皆の近況も知らないという。これでは人が集まらないのも無理はない…妙に納得したところで実家に戻り、震災10年の訪問劇は幕を閉じた。

  こうして、またしても自己満足の旅となったわけだが、今回は旅の狭間の時期で準備がろくにできず、突撃訪問となってしまったのは残念だった。それに、実はもともと、10周年にあわせて活動報告書『それぞれの探し物』のPDF版を作成し、報告書を「復刻」させようと思っていたのだが、時間が足りず、それも適わずじまい…つくづく己の非力さを痛感することとなってしまった。

  だが、幸いなことに、震災10年のイベントはまだ続く。もう報道で取り上げられることは少ないかもしれないが、今度のアフリカ旅行から無事生還したら、必ずや報告書を復刻したいと思う。それが、私にできるせめてもの恩返しだと信じて…

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