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五輪館
毒語館個人的体験記

[2000.8]

個人的体験記

出張物語
~労働生活2年~

  入社して丸1年、私は出張に行く機会がなく、遠くても拝島(東京西部)までが精一杯であった。それが、2年目になると急にいろいろな箇所に行くことになるのだから、世の中不思議なものである。今回は、その絶好の機会を「悪用」した模様をお伝えしよう。

1.それはアクシデントから始まった

  1999年6月22日、総合研究所に配属されてから丸1年を迎えたが、未だ出張の話は皆無であった。これまでの狭い「室」単位から広い括りである「センター」制になって、一緒に仕事をする人も、仕事の内容自体も確実に広くなっていたが、下っ端ゆえか、はたまたブラックリストに載っているのか、出張の予定は全く入らなかった。そして1ヵ月前に配属された新人に、早くも出張競争(?)で遅れをとろうとしていた。

  そんな折も折、急転直下で出張の話が舞い込んできた。と言うのも、私が参加していたプロジェクトで、出張を予定していた先輩の1人が、急に体調を崩してダウンしてしまったのだ。他に代役がおらず(正確には、他の人はどうにも都合がつかなかった)、やむを得ず私がスケジュールを調整して代行することとなったのである。私自身も暇ではなかったから、雪ダルマ式に他の人に迷惑をかけながら、どうにか調整して、慌しくも25日に初出張へと出掛けることになった。

  初出張先は仙台だったので、早朝(8:30頃東京発)の新幹線に乗って出発した。道中同行している先輩と話をしながら、11時前には仙台に到着し、それからタクシーで会議の会場に向かった。早く着きすぎて、しばらくは会場で暇にしていたが、まもなく事務局の方や委員の方々が現れ、昼過ぎからは会議が始まった。私の役割は議事録作成であったので、適宜メモを取りながら話を聞いていた。そして2時間あまりで会議は終了し、午後3時頃には仕事も終了した。

  ここで、余裕があれば仙台周辺の観光でもしたいところであったが、あいにくこの日は阪神ファンの輩に野球観戦(対ヤクルト戦:神宮)を強要されていたため、道草もせず東京に戻らざるを得なかった。東京は雨と聞いていたので不安だったが、様子がわからなかったので、とりあえず千駄ヶ谷へ(着いた時には、雨はほとんど止んでいた)。そして駅員に聞いてみると、試合は中止になったとのこと…不安的中でガッカリしながら会社に戻り、さらに一仕事して家路についたのであった。

  こうして、初出張はたいした「旨み」もなく、あっという間に終わってしまった。

2.四国初上陸

  それから、梅雨も明けて暑い盛りになった頃、先ほどと同じプロジェクトで、地域情報化の先進事例調査のため高知県に赴くこととなった。高知県は、橋本県政になって「KOCHI 2001 PLAN」という地域情報化施策を行っているが、それに関してヒアリング調査を行うため、めぼしいところ(担当局、主要機関等)にヒアリングをお願いしたのであった。有力候補先・高知工科大学では日程が合わないなど、夏休み中のためてこずりながらも、なんとか3件のアポを獲得し、9月2~3日に、仙台の事務局の方々と一緒に行くこととなった。

  高知には飛行機で向かったが、当日は快晴で、9月だというのに真夏のような暑さであった(これが私にとって四国初上陸だったが、さすが南国だ!)。そして昼に事務局の方と合流し、そのまま高知県庁に向かって、2件のヒアリングをこなした。高知県では各地からヒアリングの申し込みがあるそうで、さすがに手際よく説明をしてくれたが、あまりの暑さに、背広では参りそうであった(ヒアリング終了後は土佐料理を食し、英気を養った)。

  そして翌朝には西の中村市を目指したが、どうやら事務局の方は観光気分だったらしく、四万十川が見え始めた頃からおもむろにビデオカメラを取り出し、辺りの風景を撮り始めた。そうこうするうちに中村に着いたので、最近できたという「マルチメディア道場」というところに向かった。

  ところが、ここはタクシーの運転手も知らないようなところで、こちらでナビゲートするものの、周りには何もなくなっていき、不安が募り始めた。しかし、しばらくして小さな建物が見えたので、そこで降りてみたところ、なんと目的の建物であった。こんな何もないところに最新機器が用意されているのかと、少々驚きながらもヒアリングを開始し、1時間半ほどで無事終了。そして事務局の方の希望で少々寄り道しながら、昼過ぎには中村駅に戻り、帰路につくこととなった。

  ところで、最終日が金曜ということもあって、私は帰りの航空券を買わず、せっかく四国の西南端まで来たのだから、あわよくばさらに西に向かってみようと考えていた。そのことを同行している会社の先輩にそれとなく話したところ、快諾してもらえ、中村駅で解散ということになった。それを聞いて事務局の方は少々怪訝そうな様子であったが、こうして「出張旅行」が始まった。

  中村駅にて、四万十特産のウナギで腹ごしらえをしたら、さっそく南の足摺岬に向かう。曇天の中しばらくバスに揺られ、断崖絶壁の狭道を進む(バスは旧道を通るため)と、まもなく四国最南端の岬に到着。夏休みは終わっていたので、さすがに観光客はまばらであったが、眼前に広がる太平洋を眺めながら岬周辺の遊歩道を歩いてみた。想像以上に蒸し暑かったが、潮風を受けながら、心地よい汗を流すことができた。そして、夕方には空いていた近くの旅館に泊まり、豪勢な海鮮料理を堪能することができた。

Ashizuri
足摺岬

  翌日は朝一番のバスに乗り、さらに西(正確には北西)の観光名所である竜串・見残海岸に向かった。早起きした甲斐あって、9時過ぎには到着したものの、あいにく小雨まじりの天気で、観光客は少なかった。それでもせっかく来たのだから、一通り見て周ることにした。

  ここは長年にわたる波や風の浸食を受けて造り上げられた奇岩奇勝が連続しており、また海水の透明度が高く、サンゴ礁と熱帯魚も豊富であることから、日本初の海中公園に指定されている。まずは岩柱が並ぶ竜串海岸を、滑らないよう注意しながら歩き、30分弱で奇妙な岩々を見て周った。

Tatsukushi (1)
「らんま岩」

Tatsukushi (2)
「大竹小竹」

  続いて弘法大師(空海)が見残していったという見残海岸にグラスボートで向かい、途中海中のサンゴや熱帯魚を観賞しながら、20分ほどで奇岩群の入口に到着した。ここからは行ける所まで行こうと、最南端の屏風岩まで行くことにしたが、途中も不思議な模様の岩が数知れずあり、なかなか飽きさせない。海岸伝いに歩きながら、結局往復1時間近くかけて見て周り、最後は帰りのボートの運転手にせかされながら戻って、見残海岸を見残すことなく、バス停まで戻ることができた。

Minokoshi (1)
見残しの奇岩

Minokoshi (2)
「蜂の巣城」

Minokoshi (3)
天まで伸びる?奇岩

  それからは、バスでいったん西外れの宿毛に出て、JRの特急に乗って高知に戻った。高知帰還後は、帰りの高速夜行バスを確保。しかし、それで逆に時間が余ってしまったので、既に夕方だったが、時間潰しのため桂浜に向かうことにした。徐々に陽も暮れてきて、到着する頃には暗くなり始めていたが、30分ほど海辺でのんびり過ごし、慌しく高知市内に戻って家路についたのであった(ちなみに、この時初めて瀬戸大橋を通過した)。

3.日本三景の悲哀

  秋になると、理不尽なフレックス短縮案は葬り去られ、仕事の方も本格的に忙しくなり始めた。そんな中、やはり同じプロジェクトで、委員会資料の事前説明のため、10月15日に再び仙台に向かうことになった。

  他の仕事も切羽詰っていたので、徹夜して現地に駆けつけることになった(しかも仙台に10時半集合だったので、朝早かった)が、そんな状態では大した説明ができるわけもなく、事実上話を聞いているのが精一杯であった。それでも昼にはなんとか無事終了したので、会社で急用が発生していないか確認した後、どうせ戻っても夕方になっているという理由で、日本三景・松島に立ち寄ってみることにした。

  この日もツキがなく雨が降っていたが、それにもかかわらず、松島には観光客が押し寄せていて、天気ともどもがっかりであった。

  気を取り直して、まずは伊達政宗ゆかりの瑞巌寺に寄ってみる。政宗と言えば、私にとっては初めてまともに見た大河ドラマの主人公であり、また祖父母がかつて仙台に住んでいた関係で、子供の日に飾られる兜は伊達家のものであった(小ぶりだが三日月型で、一般的な兜よりずっと格好良い!)。そこで大いに期待していたが、参道以外は少々見所が少なく、ツアー客でうるさかったこともあって少々期待外れであった。

  続いて名勝・松島の島巡り遊覧船に乗ったが、天気が悪かったのが大きく影響し、またそこらじゅうに網がかかって景観を害していたこともあって、芭蕉も感嘆した日本三景にしてはいまいち物足りない印象であった。こうして、なにか不完全燃焼の感を抱いたまま仙台を後にし、爆発事故のあった東海村近くを通りながら、在来線特急で東京まで戻ったのであった。

Matsushima
松島遊覧

4.神の国?

  これで千年代の出張も終わりかと思っていたら、師走も押し迫った頃に、またしても同じプロジェクトで、先進事例ヒアリング調査を行うことになった。候補地はいくつかあったが、結局先方の希望で、金沢と島根県を1泊2日の強行日程で周ることになった。しかも、初日は都合により、こちらから私一人だけが向かうことになってしまった。

  こうして12月16日朝、雲海に浮かぶ富士山を眺めながら飛行機で北陸に向かい、小松空港に到着。首尾よく事務局の方と合流して、バスで直接金沢市内へ入った。駅前に着いて食事をしていたら時間がなくなったので、タクシーでヒアリング先に直行し、2時間ほどで無事終了…した後も時間がなく、結局金沢観光など何もできないまま、小松空港から出雲空港に向けて、20人乗りの小型飛行機に搭乗した。

  これは運転席も見えるような小さな飛行機で、定期便でこんな経験をするとは夢にも思わなかったが、揺れに耐えながらも無事出雲に到着(出雲空港では、最後に宍道湖すれすれに飛ぶので、いつ落ちるかと不安だった)。一同苦労を労いあって、その夜は松江駅前のホテルで過ごした。

  そして次の日、1名合流して島根県庁にてヒアリングを行い、昼前には西の大田市に移動してさらにヒアリングをこなした。これで調査は終了したので、いったん出雲市に戻ったが、帰りの最終便まで時間が空いてしまったので、それまでの間、会社の先輩と2人で出雲大社に行ってみることにした。

  出雲市から出雲大社へはバスで30分ほどで到着したが、もう夕方になりかけていたので、参道にはほとんど人がおらず、静寂な雰囲気に包まれていた。本殿の辺りに行くと、既に一部ルートは閉鎖されていたが、お賽銭とお守りの購入を済ませ、暗く寒くなってきたのでもう帰ることにした。

  ところが、タクシー乗り場を通りかかったら、運転手に、近くの観光も含めて安くするからと強引に誘われた(客がいなかった模様)ので、仕方なくそれに従って、しばしの観光ツアーに参加した。出雲阿国の墓参りや、神無月に神が上陸するという海岸に立ち寄って、ここが神の国だぞと言わんばかりの口うるさい説明を聞きながら、最終的には出雲空港に戻って、東京へ飛び、この慌しい出張もどうにか無事終えたのであった。

Izumo
出雲大社本殿

Touji
東寺の五重塔

5.京の趣きに触れて

  年が明けると、年度末に向けて(毎度ながら)ますます忙しさに拍車がかかり、多忙を極めていた。これまで出張の機会を与えてくれたプロジェクトも2月初めに終了したので、もう出張はない…と思っていたのだが、意外にも、別のプロジェクトで委員会を京都で開催することとなり、その翌日にはヒアリングも行うこととなった。

  思いがけない1泊2日の出張が入り、私の旅行魂に火がついたが、疲れがたまっていたためか、その火が変に点火して、突然2月16日朝にインフルエンザにかかってしまった。その日は無理して出社したものの、仕事にならず午前で早退。翌日は休み、18日に無理して出社したら土日ダウンしてしまい、結局20日まで丸5日無駄にしてしまった。この時期のプランクは致命的で、2月末の締切は2つあり、しかも今年に限って25~28日と社内の引越しに借り出されるので、復活後は寝る間を惜しんで働かざるを得なかった。

  こうして、23日からの京都出張には徹夜で向かった(新幹線の中で少し寝た)が、京都に着くと30分ほど時間が余ったので、近くの東寺に寄ってみることにした。委員会開催地の新都ホテルを通過し、徒歩で向かったが、近くに見える割には案外遠い。それでも15分ほど歩いて、ようやく五重塔を間近に鑑賞することができた。ところが、最近のバラエティ番組のお約束のごとく、時間的にすぐさま引き返さないといけなかったので、残念ながら1分ほど眺めただけで引き返さざるを得なかった。

  結局、集合時間には少々遅れたものの、委員会の方は滞りなく終了し、その後京料理なるものに舌鼓を打って、その日は熟睡した。

Kitano (1)
北野天満宮と紅白梅

  そして翌朝、限られた時間を使って観光しようと早起きし、まずは梅の名所・北野天満宮に向かった。2月下旬ともなれば梅の時期である(実際、週末には梅祭りが控えていた)ので、京在住の方に勧められていたのだが、今年は寒かったせいか例年より開花が遅く、まだ早咲きの種が多少咲き始めた程度であった。それでも、境内は梅を目当てにきた人たちと受験生で結構込んでいた。そこで有料の「梅苑」に行ってみると、人はまばらで、梅もそこそこ咲いていて、おまけに梅味のお茶(ここだけの特製?)もいただけたので、しばしの安らぎを味わうことができた。

Kitano (2)
門と紅梅

Kitano (3)
社殿と白梅

  その後早々に仕事を終えて、せっかくなので洛北の大徳寺に行ってみた。ここにはまだ行ったことがなかったが、知人から「良かった」と聞いていたので向かったのである。着いてみると、こちらは嘘のように人がおらず、静かでなかなか良い雰囲気であった。

  大徳寺は広大で、塔頭がいくつもあり、公開されている四院それぞれで料金を取っている。たまたま居た女子高生グループ(らしき人たち)は中に入ろうとしなかったが、私はせっかくの機会なので、それぞれに立ち寄ってみることにした。

  まず最初に訪れた龍源院は、方丈前石庭や竜吟庭などの名勝庭園で知られており、幸運にも一人だけでじっくりと鑑賞することができた。周りに雑音がなく、自然の音のみの世界で、庭園を見ながら一人静かにたたずんでいると、日頃の喧騒の中で忘れてしまいがちな心のゆとりがしばし回復されるとともに、普段の慌しさ・忙しさがばかばかしく、虚しく思えてきてしまう。

Daitokuji (1)
龍源院・方丈前石庭

  続いて立ち寄った瑞峯院も同様に、独坐庭・閑眠庭といった庭園を一人で鑑賞することができ、多少なりとも人間回復を果たせたようであった。ただ、3番目の大仙院では、団体客に遭遇してしまったため、残念ながらちょっとだけ鑑賞して、そそくさと退散した。

Daitokuji (2)
瑞峯院・独坐庭

  そして、最後の高桐院に向かおうとしたところ、幸運にも途中にある聚光院と総見院が特別拝見中であったので、立ち寄ってみることにした。どちらも団体客到着前だったせいか、ほぼOne to Oneでご丁寧な説明をしてもらえ、いろいろと貴重な話を聞くことができた。

  ご存知のとおり、大徳寺は秀吉や利休とゆかりの深い寺である(利休切腹の原因となった門は大徳寺にある)ので、聚光院では利休と茶の湯の話を、総見院では信長と秀吉の話をいろいろと聞くことができた(ここに信長の墓があるとは知らなかった)。

  そして最後に高桐院に寄ったが、ここもJR東海のキャンペーンCMに使われただけのことはあって、なかなか趣きのあるところで(特に木々の葉を天蓋に頂く参道は良い)、静寂の中で庭園をただ眺めていても飽きなかった。

  こうして大徳寺巡りは終了したが、時間を気にせずにいると時は経つもので、いつの間にか3時間近く経っていた。慌てて次の目的地・三十三間堂に向かい、午後3時半過ぎには着いたが、あいにく冬季は3時半までしか入場できない(早すぎる!)ので、タッチの差で拝見できず…失意を胸に京都駅まで歩き、次来る時は必ず立ち寄ると決意して、帰路についたのであった。

  帰宅後は、どうにか引越しも締切もクリアしたが、ついていない時はあるもので、400年に1度のうるう日の27時に仕事を終えて帰ろうとしたところ、6年半愛用していた自転車が消え去っていた。パイプ状のカギをかけたはずなのに…と信じられない思いで辺りを探したものの見当たらなかったので、このやるせない気持ちを自らの足にぶつけ、家まで1時間かけて歩いたのであった。

6.京再び

  それから一月して、幸いにも盗まれた自転車が区の保管所に届いているとの報があり、何とか愛車を取り返すことができた(ちなみに、カギは見事に切断されていた)。そして、年度末の仕事もやっとの思いで終えることができ、新年度も無事にスタートをきった。

  個人的には、また近いうちに京都出張があるものと固く信じて、次なる戦略を練っていた。当然ながら、前回苦渋を味わった三十三間堂は訪れるとして、他には、これまで行ったことがない大原にも立ち寄りたいと考えていた。ちょうど7月いっぱいでやめた同期も「大原は良かった」と言っていたので、俄然楽しみになっていた。

  ところが、そんな折に名勝・寂光院が火災に遭ったとの報道があり、残念でならなかった。せめて私が行く前に燃やさないでくれ、と勝手なことも思ったが、もはや後の祭り、どうすることもできない…

  その後、思い出の地・北海道に2回出張する機会があり、積丹・オホーツクと観光してきた(詳しくは北海道の旅行記参照)が、まもなく京都出張の件も急浮上し、7月10日に例の委員会を開催することになった。これを逃す手はないと思い、私は前日朝到着となる深夜高速バスを予約するとともに、前泊に民宿を予約して、参拝計画を練ったのであった。

  こうして8日夜新宿発の高速バスに乗って、9日早朝には京都に到着した。道中は振動が激しく、ほとんど寝られなかったが、心待ちにしていたせいか、それほど眠くなかった。朝食を済ませたら、さっそく三十三間堂まで歩いていったが、それほど時間はかからず、開堂の8時前には到着。天気は快晴で、散歩している人はいたものの、さすがに日曜の朝では待ち人もおらず、一番で入堂することができた。

33 gendo
三十三間堂の本堂

  三十三間堂は、中学時代に訪れた仲間が「良かった」と言っていたのでぜひ一度見ておきたいと思っていた所であり、また当時「さんじゅうさんかんどう」と誤って読んで個人的に恥をかいた所でもある。堂内には1001体の観音像が立ち並び、それはそれで圧巻であったが、思いのほか感動を覚えなかった。これも、中学生から社会人になって価値観が変化したためなのだろうか…そんなことを思いながら見ていると、20分後ぐらいから団体客が押しかけるようになり、賑やかになってきた。私は追いつかれないよう最後を早めに切り上げ、東山方面へと逃げていった。

  三十三間堂を後にしたら、次に徒歩数分の智積院を訪れた。ここは長谷川等伯一門の国宝障壁画や書院庭園で有名であるが、私が行った時はちょうど開いたばかりで人がおらず、庭園の鑑賞も、障壁画の鑑賞も一人でゆっくりじっくりできたので、とても有意義な時間を過ごすことができた。そして、いよいよ本格的な東山巡りが始まることとなった。

Chisyakuin (1)
智積院・名勝庭園 (北側)

Chisyakuin (2)
智積院・名勝庭園 (南側)

  東山と言えば清水寺ということで、まずは清水寺に向かう。私のような人間は、普通人ゴミを避けるのだが、今年は33年に一度の本尊開帳を行っていたので、行かずにはいられなかったのだ(次では60歳になってしまう!)。

  人ゴミの中、特別料金まで払って暗闇の中の秘仏を見た後は、有名な舞台をさっさと通過して、最も京都らしいと言われる三年坂・二年坂を通り、高台寺に立ち寄った。ここは北政所ゆかりの寺で、大河ドラマを記念して近くの圓徳院もたまたま特別公開されていた。せっかくだから立ち寄ってみると、ご丁寧にも案内人がいて、詳しい説明をしてくれたが、説明を終えて名勝・北庭(伏見城北政所化粧御殿前庭を移したもの)に向かうと監視の人がいたので、あまり落ち着いて見ることができなかったのは残念である。

Kiyomizudera
あまりにも有名な清水寺の舞台

Kodaiji
北政所の菩提寺・高台寺

  それから円山公園を抜けて、知恩院に向かった。ここは威風堂々とした三門や本堂に圧倒されるが、名勝・方丈庭園は対照的に落ち着いた雰囲気であった(しかし、観光客が多いのが玉に瑕か)。

  そして最後に、隣りの青蓮院に寄ってみた。こちらは庭園が有名で、JR東海のCMにも起用されたほどだが、人も少なく、静寂の中で落ち着いて鑑賞することができた。個人的には、今回訪れた東山の寺院の中で最も良いところだと感じた。

Chionin
知恩院の方丈庭園

Shorenin
青蓮院小御所

  一通り鑑賞を終えたところで、次に宿願の大原に向かう。バスで45分ほど乗り、午後3時頃には到着したが、まだまだ観光客が多かったので、私はひとまず宿に寄って荷物を置き、ちょっと寛いでから三千院方面に出向いていった。

  30分ほど歩くと三千院にたどり着いたので、まだ人は多かったものの、手始めに拝観することにした。大原一の観光地だけあって、初めはずいぶん賑やかであったが、人の波が通り過ぎるのを待っていると、客殿・見所台からの聚碧園や、宸殿から往生極楽院に通じるところの有清園の庭園が、それぞれ趣きがあるのが良くわかる。

Sanzenin (1)
三千院・聚碧園

Sanzenin (2)
三千院・有清園と極楽往生院

Ajisai
あじさい苑

Jakkoin
寂光院の門前

  それらをしばし鑑賞した後は、西のあじさい苑に立ち寄り、最盛期を迎えていた花々を見学した。しかし、まもなく黄色い声の集団が現れたので退散し、ついでに西の来迎院、さらに西にある音無滝を巡って、この日は宿に戻った。早朝からかなり歩いていたので、さすがに疲れを隠せなかったが、大原名物の味噌鍋を食し、露天風呂で英気を養って、安らかな眠りについたのであった。

  翌日は朝食後、8時過ぎに宿を出て、まずは宿からほど近い、焼けた寂光院跡に寄って見ることにした。あいにく門から先には入れなかったが、見るからに良い雰囲気であり、再興された暁にはぜひ立ち寄ってみたいものである。

  それから再び三千院方面に向かい、9時前には同期が一番良かったという宝泉院に到着した。開院したばかりのため客人は誰もおらず、住職が朝のお経をしている最中であったが、書院に通され、抹茶をいただきながら庭園を鑑賞した。

  ここには伏見城遺構の血天井や鶴亀庭園などがあるが、中でも客殿の柱と柱を額に見立てる額縁庭園(盤桓園)は有名で、JR東海のCMにも登場している。お経が終わると、気さくにも住職が話し掛けてきて、額縁庭園を眺めながら世間話を始めた。やがて所用で住職は退散し、一人でゆるりとしていたが、40分ぐらいしてカップルが現れたので、少し時間を置いて場を退いた。

  続いて隣りの勝林院に移ると、境内ががらんとしていて戸惑ったが、声明のテープを聞くことができ、また本堂のドデカイ阿弥陀如来像には圧倒された。それからさらに隣りの実光院に向かったが、こちらも幸い誰もおらず、抹茶をいただきながら、契心園という庭園をじっくり鑑賞することができた。ここには初秋から春にかけて咲く不断桜があり、紅葉の季節には、観桜と紅葉狩りが一度に楽しめるという。そう言えば三千院の庭園も、先の宝泉院・額縁庭園も紅葉の季節が最高のようなので、今度来るときは秋にしよう、と思った次第である。

Hosenin (1)
宝泉院の入口

Hosenin (2)
宝泉院・額縁庭園 (盤桓園)

Syorinin
勝林院 (本堂内に巨大な阿弥陀如来像あり)

Jikkoin
実光院・契心園 (旧普覚院庭園)

  こうして喧騒を忘れて大原の趣きを堪能することができたが、三千院の前まで戻ると突然人の波が現れ、なんだか急に俗世に引き戻された気分であった。三千院から実光院・宝泉院まで歩いてわずか1~2分なのに、この違いは何なのだろう。定番コースから一歩踏み出せばさらに素晴らしいところがあるのに…と残念に思いつつ、私は名物のよもぎわらび餅を食して京都市街に舞い戻り、無事公務をこなして東京へと戻っていったのであった。

7.懲りずに…?

  このように、この1年ほどで出張が急に増え、それを利用していろいろな場所を訪れることができた。本来なら行ってはならないのかもしれないが、これも普段は午前様が常連で、イヤというほど働かされていることに免じて許していただきたい(最近でも、5日連続午前様でそのうち1日は朝6時までだったり、週の大半が朝の3~4時までで平均睡眠時間が2時間ぐらいしか取れなかったりもする。おまけに、ノルマは増えているのに残業を減らせと言われ、苦渋の選択を強いられることもある…)。

  それから、最近になって思うのだが、花を慈しんだり、景色をただ眺めることに感動したり、ゆっくり・のんびり・しみじみすることに幸せを感じるようになってきている。今まで何とも思わなかったのに、年齢による変化か、それとも仕事に時間や生命力を奪われている反動なのかは定かでないが、無意識のうちに、自分の中で失われているものを必死に取り戻そうと、あるいは心のバランスを取ろうとしている気はする。

  できることなら、これから先はあまり自由な時間を削られることなく生きていきたい(最近は命を削られているという説もある)が、それが駄目でも、今回のように適度に息抜きをして、心の平衡を保っていきたいものである(間違っても「キレる研究員」なんて見出しで新聞に登場しないように)。

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