検索 Google
五輪館
毒語館個人的体験記

[1998.7]

個人的体験記

研修生活

 長きに渡る「学生生活」もついに終わりを告げ、1998年春、私も一端(いっぱし)の社会人となった。 とはいえ、その前に立ちはだかった(?)のは、2ヵ月半に渡る「研修生活」である。もちろん、これは某番組の「懸賞生活」や、CMで見かける「通販生活」とは全く別物であるが、これまでの生活ともまた違ったものになったのは確かだ。以下は、そのエッセンスである。

1.ドキドキの門出

  大学院の修了式を3月30日に終えたため、4月1日の入社式はあっという間に訪れた。既にこの時には方南町に越してきていたので、会社まではDoor to Doorで20~30分と、非常に恵まれた環境にあったが、にもかかわらず、初っ端からハラハラドキドキのスタートとなってしまった。

  この日は無難に8時に起床し、簡単な食事まで作る余裕っぷりを見せていたが、背広に違和感を覚えつつ着替えて出かける頃には、なんと(9時15分始業で)9時5分前になっていた。事前に調べておいた時刻表では、8時55分発なら間に合うものの、次の59分発ではかなりギリギリだったのが、既にこの「ギリギリ」に乗れるかどうかという事態になっていたのだ。

  さすがの私も、入社初日から遅刻では示しがつかないと思い、駅まで5分の道のりを必死に走った。そして、やっとの思いで電車に乗り込み、中野坂上に着くとさらに北に向かって走り続けた。その結果、会社に到達したのは始業2分前であった。客観的に見れば自分らしい門出ではあったが、受付のおじさんに注意されるなど、何とも「社会人」らしからぬ振る舞いをしてしまったものだ(しかし、その後もギリギリ出社の癖は全くと言っていいほど直らなかった)。

  こうして、落ち着く間もなく入社式を迎えた。と言っても、某派遣会社のCMのようにバニーガール姿の役員など登場せず、挨拶から役員紹介・辞令交付・自己紹介まで、至極無難に執り行われた。その後ただちに導入研修に入ったが、就業規則や諸手続などの説明が延々と続いた(昼には、ひもじい社内食堂にも行った)。これでも久々の早起きだったので、うかつにも眠くなってしまったが、何とか耐えて定時に初日を終えることができた。そして、皆が東中野に向かう中、1人方角の違う家路についたのであった。

  2日目も同様に過ぎ、3日目からはマナー研修なるものが始まった。この日は早起き3日目で疲れがたまりかけていたので、講義をされると本当に寝そうになってしまった。が、他己紹介をやらされたりしたので、どうにか踏ん張って目を見開いていられた。

  そして、午後には不意にプレゼンを行なうこととなり、クジにより班分けがされた。テーマは「社会人としての身だしなみ」。私は不覚にも班長にさせられてしまったが、実権は他のメンバーにあったので、話し合いの末「身だしなみチェック」をリアルに行なうこととなった。順番が最後だったのでやりにくい面はあったが、1人をモデルとして、鼻毛・目やに・靴などのチェックを、匂いを嗅いだりしながら行なった。明らかに「よごれプレゼン」になってしまったが、とりあえず皆の苦笑を誘うことには成功した(私自身は司会役だったので、自ら汚れることはなかったが)。

  土日で体力を回復し、明けて4日目もマナー研修の続きであった。もっとも、この日は敬語の使い方や名刺交換の仕方など、常識で考えれば対処できそうなことを学ぶので、退屈以外の何物でもない。午後になって、訪問時・来客時のマナー、及びお茶の出し方等を実習で行なったが、まるで子供がやる「おままごと」のようであった。そして、本当に身についたのかもよくわからぬまま、マナー研修は終了した。

2.懐かしの試験勉強

  翌日からは、2週間後に控えた第2種情報処理試験対策の勉強となった。この試験に関しては、会社として3年以内(院卒の場合は1年)に取得を「奨励」しているもので、既に秋から通信教育用の教材が送られていた。しかし、課題だけは出していたものの、しっかり勉強していたわけではなく、まして研修で勉強するからいいや、という意識が働いていたのも事実だ。そんなモチベーションしか持っていなかったから、この2週間、そこそこやれば何とかなるだろう、と思っていた。

  だが、担当の先生の言い分は違った。集中して、睡眠時間は2~3時間に削ってでも、精一杯やれと。そうでも言わないと、少なくとも全体的には合格が難しい状況だったようだが、こうして激を飛ばされたことで、スロースターターの私も、ようやくやる気が出てきた。考えてみれば、院卒ゆえあと2回以内に合格しなければならず、秋では仕事の都合上勉強は極めて難しいと予想されたので、今回受かるのが大前提であり、また研修の最大の目的でもあったのだ。そのため、実はこの日、順延となっていた総研の花見があったのだが、宿題を理由に丁重に(?)断り、合格に万全を期すことにした(今から思えば出席しても大差なかったが)。

  試験対策では、3日間重要ポイントを学習した後、過去問等の演習に入った。振り返ってみれば、ここでかなり効率よく学習することができたと思う。ただ、私は大学受験の時でさえ、集中して試験勉強をしたのが直前の4日間だけだったので、2週間も無理してガリ勉するつもりはなかった。だから、睡眠は最低でも6時間確保し、試験前に力を使い果たさないよう、八分程度の力で、あくまでもマイペースで勉強を進めていった(それでも、事前に渡されていた過去問集と予想問題集は、いちおう解き終えていたが)。

  そして、ついに本番を迎えることとなった。直前に、先生からは3時間前に起きるよう「お達し」があったが、睡眠を重視する私は2時間あまり前の起床とした。蒲田の会場に着いたのは開始わずか10分前であったが、とりあえず遅刻はしなかったので、自分の中では満足であった。

  こうして緊張する間もなく、久々の試験が始まった。過去問を解いた感じでは、割とコンスタントに140~160点ぐらい取れていた(ボーダーは140点前後)ので、普段通りやれば受かるだろうという心積もりで挑んだが、感触としては、別段問題なく、今まで通りであった。さすがに2時間半×2を終えた時には疲れたが、翌日の自己採点の時には、柄にもなく久々に緊張してしまった。幸いにも午前90弱、午後70強、計160余であったので、余程のことがない限り合格するだろうと信じ、(個人的に)研修最大の山を突破したのであった。

3.ルパンに賭けて

  情報処理試験は日曜だったため、翌日は休みなどではなく、またまた研修が始まった。しかも今度は場所を初台のオペラシティタワーに移し、本格的な技術研修の幕開けとなった。しかし、総研配属予定の者にとっては、大多数のSE向け研修はあまり重要ではなかった。むしろ私にとって重要だったのは、遠くなった通勤事情であった。

  方南町は、本社勤務を想定して移り住んだ街なので、初台出勤はノーマークであった。距離的には東中野より近いにもかかわらず、交通の便の都合で、いったん新宿まで出て人込みを掻き分けねばならず、まして中野坂上-新宿間と新宿-初台間は結構な混雑であり、時間も余計にかかるようになってしまったのだ。

  これでは通勤だけで疲れてしまう、嫌だ!と贅沢な思いを抱いた私は、思案の末、試しに自転車で通ってみることにした。すると、15分弱で着くではないか! あまりの近さに驚きつつも、高校から9年間続けてきた自転車通学の血も騒ぎ出したので、もはや選択の余地はなかった。以降、大雨の日を除いてほとんど毎日自転車で通い、数日後見つけた抜け道を快適に走り抜けていった。

  その一方で、大して重要でなくなった研修とはいえ、これから2ヵ月時間を費やす以上、ただ漫然と過ごすのももったいないので、何らかの目的が必要であった。そんな中、この技術研修では、プレゼンテーションの練習も兼ねて毎朝前日の学習内容のレビューを順に発表することになっていた。しかも1回目は「何でもあり」と言うのだ。こんな機会はめったにないと悟った私は、とりあえずこのプレゼンに賭けてみることにした。

  とその時、私の脳裏に浮かんできたのは「ルパン for Windows」であった。これは、アニメ「ルパン三世」のサブタイトル(タイプの音とともに1文字ずつ出てくるやつ)を真似たフリーソフトで、オリジナルの作品を作成できるところに特徴がある。既に私は、大学院のパソコンで他の人がいじくって遊んでいるのを見ていたから、その面白さは良く知っていた(さすがに今年が連載開始30周年にあたるとは知る由もなかったが)。そしてこのソフトのことを、一緒に発表する運びとなっていた同期一さわやかな男に話したら、すっかり意気投合してしまい、1ヵ月も先のプレゼンにもかかわらず、使用する方向で話がまとまった。これで、個人的な楽しみができたというわけである。

  その後は、プログラミング入門、Windows、C言語と、研修は順調に進んでいったが、私は追試に引っかからないことと、プレゼンをいかに手際良くまとめるかばかり考えていた(途中、暇つぶしに、スクリーンセーバーで「羊が1匹 羊が2匹 …羊が25匹」と出るようにして、後ろの席の人たちを集団催眠にかけようとしたりもしたが、むしろ笑いを誘っていたようだ)。プレゼンの予定では、C言語の最後の回のレビューを担当することになっていたので、それがためにC言語をそれなりに勉強して、有事に備えた。そして、発表数日前にはソフトも入手し、その日は朝の3時まで「はまる」など、気分は最高潮に達した。

  ところが、発表前日は演習のみ行なったため、結局レビューは次回に持ち越しとなってしまった。この日のために「暗号解き」のストーリーを考えていたのに、無に帰してしまったわけだ。しかし、ここで諦めるほど柔ではないので、すぐさま新しいシナリオ作りに取り掛かった。

  C言語の次は、データベースソフトAccessのお勉強であった。データベースと言えば、大学院時代に原書で勉強させられたが、それがこんなところで役立つとは思いもよらなかった。しかし、問題はどうルパンを活かすかにある。しばし構想を練った末、思い付いたのは、単純に、ルパン作品のデータベースを作ることだった。すなわち、独自の作品を作ることができる(既に勢い余って20以上の作品のストックがあった)のだから、それを管理するデータベースの作成方法をデモすれば、一石二鳥なのである。

  そこで、次にルパン作品をデータベースソフトに取り込めるかの実験に(講義をほぼ無視して)取り掛かった。まもなく、表形式からでは他ファイルを取り込めないとわかり、次回学習予定の「フォーム」の項を先取りして独学した。そして、試行錯誤の末(OLEサポートを活用して)ついにAccess上からルパンを実行することに成功したのである!

  無論、この時には皆に教えてもいないし、知られてはまずいものだから、表示されるやいなや、直ちにディスプレイの電源を落としてばれないように努めた。だが、1度成功すると欲が出るもので、今度はテーブル(表)上からもルパンを実行できないかと試してみた。すると、専用の項目を設けてやれば、そこをダブルクリックすることで、見事に実行されるではないか!! こうして1人歓喜に包まれた後、他のメンバーに構想を説明して、了承を得た。ただ、もう1つの問題として、設置されたマシンでは音が出ないということがあった。これでは効果は半減、いや2/3減だ。

  そこで講師に相談するも、最初は取り合ってくれなかったので、仕方なく事情を説明し、説得を試みた。すると粘り腰に呆れたのか、他の部屋から音声の出るマシンを特別に調達してくれることになった。これで必要なものは揃うことになったので、その夜は気合を入れて遅くまで準備を進めていった。

  そして、ついに当日を迎えた。前日(日曜)久々に水泳大会に出て優勝し、旧友とお酒を飲んだため、少々お腹の調子が優れなかったが、珍しく早起きをして、8時から直前の準備に取り掛かった。さっそく音の確認をしたところ、無事うまくいったので一安心し、人が来だしてからは、ばれない範囲で最後の打ち合わせを行なった。事前に「今までにないプレゼンをする」「つかみは任せて」などと発言していたので、失敗は許されない状況にあったが、なぜか「絶対に失敗しない!」という、妙な自信があった。

  そして本番。司会の挨拶の後、さっそく1作品目をつかみに利用(操作を誤ったふりをして、PowerPoint上から実行されるように仕組んでおいた)し、観衆の笑いを見事に誘った。続いて言い出しっぺの私が、「今回作成するデータベースは、ルパンです」などと切り出し、「ルパンのデータベース」作りを(20分中)18分ぐらいかけて延々と説明していった(話の中身は具体的なデータベース設計なので、ここでは省略する)。これだけ長い話にもかかわらず、予め紙で「台本」を用意してはいなかったが、頭の中には台本がしっかり刻み込まれていたので問題なかった。最後には、出来上がったデータベースから厳選の2作品を披露して、またまた笑いの渦へと皆を巻き込むことができ、ほぼ予期していた通り、大成功に終わった。

  こうして、構想1ヵ月に渡った「ルパン・プロジェクト」は幕を降ろした。その直後から、未公開作品を見たいとか、ルパンのソフト&作品が欲しいというリクエストが寄せられ、瞬く間にルパン三世が教室内各地に増殖していった。当初作品群は、万人受けしそうなものを選んでデータベース化していたが、その他にも、意味もなく馬鹿な作品からブラック過ぎるジョークまで(昔のボキャブラ流に言えば、バカパクからシブ知まで?)、どちらかと言うと一部の人がハマルような作品も多くあったので、こちらは希望者にだけネットワーク経由で勝手に見てもらい、様々な反響をもらった(ブラック過ぎる!とか)。

  また、後日耳にした話では、研修先企業のオフィスにも、いつの間にかルパンが繁殖し、好評を博しているとのことであった。それからというもの、何かにつけてルパンでネタにされてしまう(例えば、「変なこと言うとルパンの作品にされてしまう」などと)のは少々心外だったが、それだけ影響力が大きかったということでもあり、ルパンに賭けただけの甲斐はあったというものだ。

4.精神的ダメージ

  これで発表から解放された、と思ったのもつかの間、翌日からの2回目プレゼンの組み合わせ&順番争いがあり、ジャンケンに敗れて、私は運悪く2日連続の発表と相成った。これは悪い冗談としては考えていたが、まさか現実になるとは思っていなかったので、ショックは大きかった。別にジャンケンに負けた人を怨むつもりはないが、既に寝不足とルパン・プレゼンの解放感から「腑抜け」になっていた私は、司会役の引受けと、思い付きのアドバイスをするのが精一杯であった。翌日の発表は、事前に内容を紙にまとめておいたこともあり、また司会として1分程度しか話さなかったので、無難にまとめることができた。2日連続発表ともなると睡眠不足がひどく、体調も芳しくなくなっており、さすがにその夜は早めに床につき、いつも通りに就寝した…はずだった。

  そして翌日、突然裏の水道の蛇口の音で目覚めたが、どうも外の様子がおかしい。やたらと明るいのだ! 恐る恐る時計を見てみると、なんと11時ではないか!!

  これには、さすがに「まずい」という感情を通り越して、笑ってしまった。というより、笑うより他になかった。実は、私は毎朝タイマー代わりにCDをかけ、1枚程聴いて仕事に向かっているのだが、この日はタイマーを設定したつもりが、電源を落とすのを忘れていたのである(これでは、タイマーは作動しない)。

  しかし、こういうことになったのも、きっと疲れていたからだ、体調が悪かったからだ…と懸命に自分を納得させて、(時間が中途半端に余ったので洗濯も済ませて)午後から研修に加わった。聞いた話では、午前中の間にいろいろな噂が出回り、辞めたんだとか、ルパンが置き土産だったんだなどと嬉しそうに話していた輩がいるらしいが、またしても違った意味でインパクトを与えたことだけは確かであろう。

  ちなみに、その前夜には某番組に実家が写っているのを目撃したり、翌日には通勤途中自転車がパンクしたり(しかも家に帰るまで修理のできる店が見当たらなかった)と、さんざんな週であった。しかも、目的を失った研修では、インタビュー実習で嫌な客役を演じきるぐらいしか楽しみがなくなるなど、すさんだ人生へと進みかけていた。しかし、本当の試練はこの後訪れるのだった。

  5月末から9日間に渡る「システム設計演習」は、今回の研修の華とも言うべきもので、これまでの学習を踏まえて実際に必要なシステムをプロジェクトで作り、コンペもどきをするというものだ。班の組み合わせは、どういう基準で割り振ったかわからぬまま、演習初日の朝に発表された。班は5人だったが、どういうわけか、私は推薦決選投票の末に敗れて、リーダーに祭り上げられてしまったのだ。自分としては、人に仕切られるのも嫌いだが、仕切るのはもっと嫌いなので、この「仕打ち」には少々困惑したが、9日間の辛抱と思って耐えることにした。そして、思い付きでつけた会社名「ANPAQ」を急遽創業した。

  今回の演習は、平たく言えば受注管理システムをオンライン化するのが目的で、顧客役と交渉しながらその仕様を決めていくことになる。一見簡単そうであるが、我々の班は特に能率が上がらず、苦戦を強いられた。と言うのも、煙草組が多いため他班の先陣を切って休みがちであるとともに、班の中に超個性的な人間がいたからだ。彼の名を仮に「太」としておくと、太の口からは聞くに堪えないダジャレ・下ネタが無鉄砲に乱射され、独特の笑い声とともに、徐々に周りの人間の生気を失わせていく。私は当初彼の隣であり、この種のギャグ(?)は一番嫌いな部類だったので、精神的苦痛は時々刻々と増していった。

  そのため、このままでは体が持たないと感じた私は、理由をつけて1つ、また1つと席を移るとともに、彼を黙らせる術として、子供に餌を与えるように、彼には積極的に仕事を与えた。だが、この程度でめげるほどの太ではなく、隣人や他班にダメージは広がり、周囲の人間は次々と壊れていった(ただ、そんな太も、演習中特別な人間関係のもつれで一時期非常に落ち込み、逆にこちらが対処に苦慮することもあった)。おまけに、もう1人の野郎Kと組んでセクハラまがいの発言・行為も絶えなかったため、苦笑を含めた笑い声はかなり賑やかだったものの、生産性には大いに問題があった。

  ところで、我々の設計はというと、これがまた試行錯誤の連続であった。設計にあたっては、一般にいかに必要な要件を満たし、かつ付加価値を高められるかがポイントになろうが、私たちは後者に力点を置くことにした。具体的には、受注判断にあたって、納入希望日前の将来的な製造完成数をも考慮に入れることで、受注をより多く受けられ、かつ在庫費用を削減しようというのだ。これを数式化したのが太だったが、彼の熱意には顧客役の講師も負けて、ゴーサインが出された。とはいえ、この時点で既に予定の半分は過ぎ、しかも必要な画面が70数枚となるなど、このままではとても全部終わりそうになかった(他のメンバーも重々承知していたが、公共事業のように、これまでの作業が無駄になると思うと中止できなかったのだ)。

  そのため、ここで一大方針転換をすることになる。まず受注判断システムについては、我々の「売り」であるので、プログラミングに取り組み、何とか実現させることにした。だがユーザーインターフェイスについては、時間がないこともあり、またシンプルな方が使いやすいだろうということで、一緒にできるものはできるだけ同一の画面にするとともに、Accessの機能でできるものはそれを積極的に使うことにした。その結果、画面は一気に9枚となり、非常にシンプルでわかりやすいものとなった。これで無駄になった書類作りも相当多かったが、逆に新たな書類作成は容易になった。

  こうして画面作りや書類作成は予定通りにほぼ終わったが、肝心のプログラムは思うようにいかなかった。幸い予定より2日延長されたが、それでも最後は、プレゼンで何とか使えるレベルに甘んじるより仕方なかった。私も、最初のうちは代替策を考えようかと思っていたが、苦労している姿を見て、珍しく情が働いて中断できなくなり、厳しく、そして暖かく見守ることにした。そして、6月11日、晴れの舞台が待っていた。

5.Xデー

  発表前日には、予行練習ということで、2回ほどリハーサルを行なったが、この時から我々のプレゼンは既に他を圧倒するものがあった。特に太の受注管理方法の説明は、内容もそうだが、裏返った声で話す口振りが、皆の耳にこびりつくようであった。講師の評価も高く、それがために発表が最後から2番目にされたような気がしないでもないが、ともかく当日は随分長く待たされることになった。

  結局、午後4時過ぎになって、ようやく我々の出番が回ってきた。セキュリティの関係でPCを繋ぎ直す必要があったので、休憩時間中に動作確認をした上で、直前に円陣を組んで、いざ発表となった。こういう時、私は逆に開き直れるので緊張はほとんどしないのだが、大勢の上司を前にして発表するせいか、普段は威勢のいいセクハラ軍団も妙に緊張していて、逆に微笑ましく思えたりした。

  そして、挨拶、システムの概要・特徴の説明に続いて、「シンプルな構成とセキュリティ」について話し、メインの受注管理方法へと話が移っていった。ここではモデルケースを持ち出して、通常の方法に比べ売上3倍増、在庫費用2割減と力説したが、例によって太の独特の説明に会場は爆笑し、話をちゃんと聞いていないとただ「面白かった」で終わりかねないほどであった(実際そういう人もいた)。私のデモによる説明はその後だったので、非常にやりにくかったが、彼の個性には太刀打ちできないので普段通りに説明していった。幸いプログラムも問題なく動き、我々のプレゼンも問題なく終幕した。その後、もう1班の発表が終わると、講評に続いて皆の配属先が発表され、やがて打ち上げへと進んでいった。私はここで、総合研究所地域計画研究室への配属を知ることになるのだが、何より解放感と脱力感に包まれ、その夜は睡魔の指示に従い、早めに休んだ。

  発表会の後は、まだ7日ほどネットワーク等最新テクノロジーに関する学習が残っていたが、それより気がかりだったのは、情報処理試験の合否であった。資料によれば、2種は6月上旬発表となっていたのに、何の音沙汰もなかったからだ。そこでさっそくネットで検索して調べてみると、どうやら17日午前0時より、主催機関のホームページで発表されるようであった。

  そこでしばし時を待ち、運命の日17日になるやいなや、ページへのアクセスを試みた。だが、皆が同じ考えをしているためか、なかなか繋がらない…何度も何度もトライして、やっと繋がったのは15分後のことであった。

  検索した結果、見事に表示されたから、合格ということだ。その日の夕方会社から発表された情報では、40名近く受けて15人の合格であったという。これを高いと見るか低いと見るかは難しいところだが、同じ総研のメンバーが皆受かっていたから、ほっと一安心であった。

  それからの数日は、もう研修に慣れきったせいかダラダラと過ごしてしまい、ついに最終日を迎えた。こうなるとオペラシティを去るのが残念な気もしたが、ともかく、巷で噂されるような○○隊訓練や宗教的な洗脳合宿生活など微塵も感じさせない、健全な(甘い?)研修を受けられたことは良かったと思う。個人的にも、いろいろな意味で波瀾万丈な研修生活となったので、思い出深い2ヵ月半であった。

  その後、23日に配属され、今は東中野の生活にどっぷり浸かり、残業もしつつ、仕事にも徐々に慣れつつある(つもり)。配属翌日からフレックスを使い、その後も毎日のように活用していることについては、今盛んに言われているオフピーク通勤に貢献しているにもかかわらず、同期からの風当たりは何故か強い。これは、(新人ゆえに)使いたくても使えない「羨み」なのか、それともサッカー代表を叩くときのような伝統的「根性論」なのかは定かでないが、ともかく個人的には、遅刻が事実上なくなったことが非常に嬉しい。あとは、ここで述べた「研修生活」が天国だった、とならないよう、メリハリをつけた「労働生活」を送れるよう心がけるばかりである。

Page Top
Copyright © gorinkan.org All Rights Reserved.