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五輪館
毒語館個人的体験記

[1997.4]

個人的体験記

大学院生活1年!!

 政策・メディア研究科に入って、早くも1年が経過した。その間、私は(良くも悪くも)様々な経験をし、貴重な時間を過ごしてきたように思う。そこで、以下ではこの1年の大学院生活を振り返り、今後の糧としたい(?!?)。

1.一人暮らしの始まり

  大学院入学にあたって真っ先に始めたのは、一人暮らしのための部屋探しであった。卒論も一段落した2月10日あたりに湘南台に赴き、散歩がてら物件探しを行なったが、歩いてみると、意外に不動産屋が多いのに驚いた。

  が、物件の高さにも驚かされた。おそらく、SFCをはじめいくつか大学があり、街としても店が一通り揃っているうえ、将来相鉄と地下鉄が乗り入れるなど、需要があるのだろうが、急行が泊まる隣の長後駅周辺よりも明らかに高かった。しかし、利便性で湘南台の方がダントツに良かったので、数日後には早々と部屋を決めてしまった。

  そして、3月20日には引越しを行なった。私の部屋はワンルームのアパート1階だが、ロフト付きなのでかなり広く見える。またユニットバスではあるが、冷暖房・冷蔵庫完備で近くに飲食店が多いなど、比較的恵まれた条件であった(これで家賃は6万)。

  だが、いざ住んでみると、外部はともかく、内部の騒音が半端じゃなかった。つまり、壁が薄かったわけである。これは、下見の段階では気付かなかった盲点であり、大きな誤算であった。特に、上の人(女性)の音はすさまじいものがあり、テレビやラジオの音、歩く足音、長電話の声、トイレを流す音…などなどが、ある時は安眠を妨害し朝早く起こしてくれ、またある時は夜な夜な寝かせてもらえず苦しめられた。私はたまに自動ドアが開かないことがあるぐらい足音も静かで、気配を感じさせない生活を送っているから、こちらは被害を被ってばかりであった。

  そんな大「誤算」がありながらも、買い物や掃除・洗濯は結構楽しいものであり、あまり苦にはならなかった。むしろ親から開放された「自由」を満喫していたといった方が良いであろう。それに、一人暮らしをするようになって逆に栄養のバランスを気にするなど、自己管理を意識するようになるということもあった。

2.四月病!?

  そんなこんなで4月になると、いよいよ学校も始まった。この時期にはありがちなことだが、私もご多分にもれず「四月病」(通常「五月病」と言われるが、最近ではやる気になっている時の方が異常とみなされる)にかかり、勉学に燃えていた。そのため関心のある授業は貪欲に履修(結局春は6コマの講義を履修)し、おまけに単位にならないインフォーマルな「情報とネットワークセミナー」にまで出席してしまった。

  しかも、これら講義の大半はグループワーク(4つ)や文献データベースの作成(2つ)が必須であるなど、かなりハードなものが多かったうえ、5月からは「生活都市東京を考える会」電子プロジェクトに参画したので、自業自得とはいえ、その後かなり大変な思いをすることになった。

  情報リテラシーに関しては、私は学部時代電子メールすら使ったことのない状態であったため、SFC上がりの人と比べれば天と地ほどの差があった。いちおう外部生用に「情報処理自主講座」が用意されていた(もちろん単位にはならない)ので、それも活用したが、UNIXはコマンドを覚えなければならないなど奥が深く、基本を修得するのもなかなか大変であった。そのため、「考える会」プロジェクトでも、始めのうちはあまり役立たなかったと言わざるを得ない。

  一方、この大学院は社会人出身者が比較的多いこともあって、授業等で刺激を受けることが多かった。特にグループワークなどでは、こうした人たちと協同で作業をすることで、自分の考えの甘さなどが良くわかるものである。前記のように「欲張り過ぎた」ので消化し切ったとは言えないが、学ぶことが多かったのは間違いない。

  こうして、ほとんど常に課題に追われながら、春学期は怒涛のごとく過ぎていった。

3.休みが欲しい…

  結局誕生日に何とか授業の課題を終え、翌日には先のインフォーマルセミナーの合宿に参加した(at 伊豆高原)。これは遊び7割勉強3割ぐらいだったので、リフレッシュにはちょうど良い感じであった。

  この後には、兄の一人暮らし撤退(6月に結婚した)に伴い、私の部屋に大型テレビやソファ、電子レンジなどが届き、より充実した一人暮らし生活が可能となった。またプロジェクトの引越しや研究計画の発表、編工研での会議のテープ起こしも行なうなど、夏休みと言えども決して暇ではなかった。一昨年までのプールで泳ぎまくっていた生活(昨年は震災ボランティア報告書の作成に明け暮れた)が嘘のようであった。

  しかし最大の「誤算」は、何と言っても「考える会」プロジェクトであった。この頃には初期の最大5人体制から諸々の都合で2人体制となり、私は電子会議室の進行役を担当することになった(技術がなかったため)が、ちょうどこの時期に議論が盛り上がったので、目が離せなくなってしまったのだ。まさに「嬉しい誤算」である。そのため蒸し暑い中毎日のように学校に行かねばならず、結局休みの大半はプロジェクトに消化されてしまい、自分の勉強は遅々として進まなかった。

  秋学期が始まる頃になると、今度は藤沢市のプロジェクトも動き始めた。「考える会」の方が落ち着き始めていたとはいえ、2つのプロジェクトを同時に抱えるのは良い気分ではなかった。授業の方は春に6コマ履修できたので、秋は2つに抑えてプロジェクトに力を注げるよう取り計らったが、その後10月のシンポジウムの準備や11月のオープン・リサーチ・フォーラムでの資料作成など、何だかんだと仕事が舞い降りてきた。

  おまけにマルチメディア文化論という授業は毎週のようにレポートがあり、プロジェクト科目では馴染みの薄いデータベースについて勉強することになるなど、楽をするつもりがそうならず、いつの間にかロフトの住人と化していた(寝泊まりはしていない、あしからず)。

  こうして「考える会」は11月末にひとまず終了したが、年末もオープン・リサーチ・フォーラム資料のWeb化や報告書作成の準備などに時間を費やし、あまり休めなかった(と言っても、この時は自己強制的に12月29日から1月3日まで休み、年賀状を書いたりホームページを作成したり甥と遊んだりしていた)。

  年が明けると、1月4日に正式にホームページを立ち上げたが、今度は藤沢市の資料作成(主に各種資料をWebに載せる作業)や授業の課題などがあり、1月末はやはり忙しくなった。この頃には基本的なUNIXの使い方やホームページの作り方(フレームからクリッカブルマップまで)は身につけていたので、それなりに仕事をこなせるようになった(と勝手に考えている)。

  2月になると少しは楽になるかと思いきや、今度は藤沢の電子会議室運営とともに、「考える会」プロジェクト報告の作成やプロジェクト予算の使い道の検討をしなければならず、休み中なのに逆に忙しい日々となってしまった。

  特にプロジェクト報告をまとめるにあたっては、都庁に取材に行ったりする一方、2人で何度も議論し練り直していったため、中旬頃は昼から夜にかけてお互いの擦り合わせをし、夜中に書き直したりして、朝刊を見てから寝るようなギリギリの生活を送っていた。結局この作業はいったん終えて指導教授に見てもらい、添削されたものをさらに書き直して、3月中旬にはほぼ完成となった(正確には4月上旬)。幸い、これが雑誌『都市問題』7月号に掲載となったので、苦労も報われたわけである。

4.新たな展開

  こうした中、藤沢の市民電子会議室実験も2月末に始まり、その対応にも追われたため、一時「考える会」と藤沢、プロジェクト予算、そして就職の四股状態となった(こうした状況のため、就職活動が疎かになったのは言うまでもない)。しかし、どうにかこうにか切り抜けて、今日まで生き延び、藤沢プロジェクトと就職活動に勤しんでいる次第である。

  ところで、春は「出会いと別れの季節」ゆえ、上級生が卒業する一方、新入生が新たに入ってくるなど、新しい展開が多く起きている。プロジェクト科目の名称も大幅に変わり、研究室の雰囲気も変わりつつあるような気がする(これまでは大人しめだったが、新入生の加入で比較的賑やかになりそう)。

  また私生活においても、消費税率アップに備えて、ビデオやオーブンレンジ、炊飯器、レンジ台、それに携帯電話(就職対策)など、これまで足りないと思われていたものは一通り買い足した。これで3度目のレベルアップを果たし、かなり充実した生活が送れるようになっており、自炊することも徐々に多くなってきている(それにしても、炊飯器やビデオもなくて、今まで良く生活してきたものだ)。

  おまけに、これまで「お騒がされていた」上の住人と、時に非常に激しい声を上げていた右隣の人(どちらも女性だった)が出ていき、新たな住人が入ってきた。今度はどちらも男性で、以前と比べると騒音公害は確実に軽減しているので助かっている。ただ、最近家のパソコンの調子がおかしいのが気がかりである。

5.「忙しい」中にも心を

  こうして、とにもかくにも1年が過ぎた。これまで何かしら仕事に追われ忙しい日々を送ってきたが、今後も夏前までは就職活動があり、藤沢のプロジェクトもしばらく続く上、夏休みの頃からは修士論文にも取り掛からなければならない。そう考えると、これから先もあまりゆっくり休んでいる暇はないのかもしれない。

  しかし、できることなら、それを理由に自分の行動を正当化したくないものだ。日本では、とかく忙しくしていれば許されるというか、それが1つの美徳であるかのように評価されがちであるが、それでは「ゆとり」から生まれる豊かな想像(創造)力は育まれないし、様々な「世界」を見えなくして視野を狭めかねない。

  考えてみれば、「忙」という字は「心を亡くす」と書くのであり、我々はそれを当然のこととして諦めてきたのかもしれない。だが、物質的な豊かさが今後多くは望めないことを思えば、それではあまりに哀しいではないか。例え「忙し」くても、これからは「心を亡くす」ことなく生きていきたいものである。

  ちなみに、「忙」が「心を亡くす」だと気付かせてくれたのは、私が良く見ている『世にも奇妙な物語』1997年春の特別編の最終話においてであった。これは、日常を漫然と生きていたサラリーマン(役:西村雅彦@今泉巡査)が、昔の生きることに燃えていた自分(がそのまま成長した姿)に出会うことで大切なものに気付くというものであったが、こうしたある意味で「どうでもいい」番組が大切な教訓を教えてくれる所に、図らずも「遊び」や「ゆとり」の重要性が示されていると言えよう。

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