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五輪館
毒語館乱世を斬る!

[1997.5]

乱世を斬る!

パートナーシップ
~ポストモダンへの処方箋~

1.先の見えない時代

  テレビの深夜番組がつまらなくなって久しい(個人的には「今泉慎太郎」などをやっていた時期が良かった)が、ついこの間、たまたま興味深い番組を発見した。その名も「Dの遺伝子」(CX系1997年4~9月:月曜25:10~40)。これは将来起こりうる現象をドキュメンタリータッチで描いているドラマで、演技がわざとらしいのが鼻につくが、内容はなかなか面白い。

  例えばこの前は、行政のゴミ全面有料化に対して、完全リサイクルにより無料化を成し遂げた民間処理業者が、実はゴミの情報で良からぬ商売をしていた(捨てられたゴミから個人の生活や企業の機密などを分析し、その情報を売るなど)実態が明らかにされるというものであった。あいにく、この時間帯は「ガサ入れ」などと重なるため目につきにくいが、これまでにない設定とストーリー展開である。

  それにしても、深夜とはいえ、こんな番組が放映されるようになった背景には、将来に対する不安、つまり先が見えない、どうしたら良いのかわからない、という思いが、世紀末の現在に溢れているからに他ならない。これまでは、良きにつけ悪しきにつけ、日本社会には経済成長という目標があり、男は仕事、女は家庭という明確な役割分担があったが、こうした制約がものの見事に崩壊 し始めたわけだ。

  私個人としては歓迎すべき動きが多いと思っているが、例えば夫婦別姓問題にしても、伝統的価値観に縛られた人たちは急激な変化に困惑し、「もっともらしい」理由をつけて反対しているのである(ちなみに、この理由として「家族の絆を弱める」とよく言われるが、裏を返せば、日本の家族は所詮名字でアイデンティティを支えられている「貧しい関係」に過ぎないらしい)。そして、困り果て疲れ果てた人々は、いつしか宗教にのめり込んでいくのかもしれない。

  その一方で、最近になって、企業の製品開発から行政の政策理念に至るまで、やたらと「パートナーシップ」(あるいは「協働」ないし「共働」)という言葉が使われるようになってきている。かく言う私も、修士論文のテーマにこの用語を用いているが、一般的にはまだ馴染みの薄いものであろう。そこで今回は、この言葉を手掛かりに、将来に対する「ヒント」を探してみることにしよう。

2.「パートナーシップ」とは何ぞや

  ところで「ストーカー」などと違い、「パートナーシップ」は以前からもあった言葉である。試しに辞書を引いてみると、「共同。協力。提携」などとあり、imidasの「カタカナ語・欧文略語辞典」には「提携.協力関係.連合」と書かれている。「パートナー」という言葉は既に知られているので、これに毛が生えたような「パートナーシップ」の意味もある程度は 推測できるというものだ。しかし、これでは納得できないという人もいるだろうから、最近日本NPOセンターの設立などで一躍有名になった山岡義典氏が提唱する「7つの原則」を記しておこう。


  1. 自己確立の原則: 自分が何であり何を目指しているのかを明確に自覚する。
  2. 相互理解と相互尊重の原則: 相手の存在の本質的なものを理解し尊重する。
  3. 共通の目標認識の原則: 何をめざそうとしているのかを共通に認識する。
  4. 対等な関係の原則: 支配・被支配の関係にならずにヨコの関係を維持する。
  5. 自己変革受容の原則: お互いに影響し合うことで自己変革を受け入れる。
  6. 公開の原則: 双方の関係は社会に向けて公開されている。
  7. 時限性の原則: 双方の関係は目的の達成(または不達成)により解消する。

  要するに、相手を尊重しながら対等な関係を結ぶことで、新しい「知」なり 「関係性」を創造しようとしているわけである。これは、SFCが好んで使う 「ネットワーク」や「コラボレーション」と相通ずるものがあるし、最後の方の「原則」を除けば、友人や恋人、夫婦の関係などといった人間関係一般にもある程度通用するものであろう。あるいは「弱さの強さ」(一般に「弱い」と思われているものが実は本質的に「強い」こと)や「強さの弱さ」(その逆:こちらは私が勝手に使っている)にも関係してくるのかもしれない。

  それはともかく、従来の枠組み(パラダイム)が行き詰まる中で、この言葉が再評価されるようになったことは興味深い。逆に言えば、これまでは男中心の体育会的な考え方がまかり通っていたから、ヨコの関係などといった「軟弱な」考えは黙殺され、競争と権力に基づくタテの関係が重んじられてきたのだが、女性の「社会」進出、経済成長体制の「どん詰まり」などで、少しずつ意識が変わってきたのであろう。

3.「処方箋」としての可能性

  とはいえ、現実にはまだまだ「壁」は厚い。例えば私の知人である高橋B氏は、読書好きで比較的リベラルな考えを持っているにもかかわらず、なぜか女性に対しては食事などでお金を出させてはいけないという信念を抱いており、後輩に対してはある程度強制力を発揮できるものと信じて疑わないようである。また世間一般でも、男性は女性を守るもの、女性は男性に守られるものという価値観が支配的であり、どちらも都合よくそれを利用している節があるし、年齢や地位などによる上下関係も容赦なく権力関係となってしまっている。

  私の場合は、例えばテレビで女性が「男性に奢ってもらうのは当然」などと血迷っているのを見ると「誰が奢るか!」などと思ってしまうし、年齢や社会的地位が上だからといって変に媚びることはないので、これまで女性や目上の人にあまり好かれなかったのかもしれない。しかし、逆に言えば年が下でもそれほど態度を変えたりしないので、相対的に(絶対的ではない)下の年代からは支持されているような気がする(気がするだけかもしれないが)。

  実際、たまに4歳になった甥と一緒に遊ぶことがあるが、その時はなるべく相手の自主性に任せ、好きなことを行なえるように心掛けているつもりである。そのせいか、向こうは私を呼び捨てにしており、完全に友達感覚、あるいは家来感覚なのかもしれないが、すごく(恐ろしいほど?)なついているし、親にも言えない「秘密」を共有していたりする。

  確かに、権力関係や役割分担がはっきりしていた方が楽かもしれない。「自由からの逃走」などと言われるように、自分で考えて判断するよりも、カリスマに言われたことをそのまま実行する、あるいは決められた社会規範に身を任せる方がずっと容易であろう。しかし、これでは決まったルーティンワークをこなすだけだから、新しいものは生まれてこない。希望に燃えて就職しても、あるいは夢を抱いて結婚しても、マンネリ化し、いずれ飽きてしまうのはこのためである。

  これを「そんなもんだろう」と諦めてしまえばそれまでだが、 これでは「老ける」のも早いであろう。ところが、パートナーシップは相手を尊重した対等な関係であるから、協力して物事を行なうことで、お互いに影響を受け、新しい「何か」を見つける可能性が非常に高くなる。例えば舞台俳優などは、同じ舞台を何回も繰り返すのであるが、当人たちは仲間や客との(対等な)やりとりの中で、毎回それぞれ新しい「何か」を発見しながら芝居を行なっており、それが醍醐味らしい。

  このように、たとえ一見同じように見えるものであっても、パートナーシップには絶えず変革していける可能性が秘められており、それが新しい付加価値を生み出し、やがてはこれからの社会のエートスとでも言うべきものをもたらすのかもしれない。その意味では、ウェーバーは「プロテスタンティズムの倫理」が「資本主義の精神」をもたらしたと言ったが、「パートナーシップの精神」は「ポストモダンの倫理」を生み出すかもしれないのである。

  随分大風呂敷を広げてしまったが、パートナーシップの重要性についてはある程度理解していただけたと思う。私としても、この考え方を就職活動で企業に対しても実践していきたいと思っているのだが…これについては、次回報告することにしよう。

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