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五輪館
毒語館乱世を斬る!

[1996.3]

乱世を斬る!

君たちはなぜ働くのか

※以下の文章は、一橋大学 加藤哲郎ゼミナール文集『US』創刊号(1996年3月刊)に寄稿したものです(そのため、内輪ネタが多々あります)。

1.頑張れサラリーマン!

  卒論もレポートもテストも終え、現在、私は1年半振りの休暇を(自分なりに)有意義に過ごしている。高校時代のクラスの友達と草野球をしたり、見知らぬおじちゃん・おばちゃんに混じって泳いだり、3歳になった姉の子供(つまり甥)の守役を務めたり、今まで「飾っておいた」本を読んだり、寝ながらボーッとテレビを見たり、流行の音楽を聞いたり‥‥まるで墨俣城に招かれた竹中半兵衛のように、自由気ままに生活し、久しぶりの解放感に酔いしれている。

  思えば、この1年はいろいろなことがあった。12月のスキーの際にコシヒカリ入りアイスを食べて折れてしまった前歯(小6の時に自転車の転倒事故で折っていた)を治したり、2月のゼミ・スキーでは風邪をひいて寝込んだり、アメリカ行が突然キャンセルになったり、オウムの里(富士山麓)でボランティアの研修に参加したり、東京ドームでサークルの創部30周年記念試合をしたり、国際メセナ会議 '95で筑紫哲也を間近で見たり、院試の合間をぬってコンサー トに行ったり、卒論執筆中パソコンでトラブッたりしていた。

  しかし、何といっても1月17日に起きた阪神・淡路大震災は、その後の人生(かなり大げさ)を大きく変えたと言わずにはいられない。多くの人が就職活動に向けて動き始める中で、私は「ボランティア未体験」の汚名を返上すべく、2月中頃より震災ボランティア活動に加わり、2度の神戸行をはじめ、陰に陽に活動のお手伝いをさせていただいた。そして、様々な団体の活動報告会に顔を出すかたわら、4月の終わりからは報告書作りに取りかかったのだが、卒論のテーマとの関わりから執筆兼編集を担当させられてしまい、就職戦線真っただ中の6月頃より、密かに取材と執筆を進めていったのだ。

  おかげで、毎年恒例となっていた夏の泳ぎ込みもできず、卒論の執筆も大幅に遅れてしまったが、それでも10月には、当初誰も考えていなかったような立派な報告書『それぞれの探し物』 ができ上がり、1ヵ月以上経ってA新聞にも紹介されて(Y新聞には無視された)、増刷までしてしまった。果たしてどれほどの人がまともに読んだか、大いに疑問ではあるが、「学校の授業で使いたい」なんて反響があると、やはり嬉しいものだ。

  その後、落ちるはずだった大学院にも受かってしまい、大急ぎで卒論も仕上げて、何とか「今年の3戒」を3悔にせずに済んだ。そして「まだ学生でいられるなんていいなぁ」などと言われながら、新しいステージに向かって動き始めている次第である。

  そんな時、A新聞を見ていたら、2月12日の「漫画鏡」という欄に、面白そうなサラリーマン漫画が紹介されていた。その名も『業界別カイシャ・ミシュラン '96 会社図鑑!』。大手96社795人の会社員への取材をもとに、漫画と コラムと証言から、主要16業界の実態を「天の巻」「地の巻」の2冊にまとめている。

  そこで、今回のネタ本にすべくさっそく買ってみたのだが、これが実に面白い。「サミット学園」や「となりのやまだ君」なんかよりもずっと笑えるものである。

  例えば、Iさんが就職するY新聞の場合「1000万部突破という世界一の発行部数を背景に憲法改正試案までブチあげた、超ワンマン社長ナベツネの会社。組合でも政治的な発言は絶対タブー、ちょっとのポカでも左遷あり、業界では「人を人とも思わない読売経営」と囁かれ‥‥記者同士の競争が激烈に要求されるので、社内の人間関係はギスギスしている。権力と仲良くなってネタをもらう方針で徹底」と書かれているし、百烈拳を体得したU氏のS銀行については、他社からの評判は「灰皿が飛んで正座させられたと聞いた」「私の親友はSに入って人間性まで変わってしまった」「大変そうでかわいそう」「やくざよりもボクは恐れる」「男性行員は老けこむのが早い」「あそこだけは嫌だ」と滅茶苦茶に言われている。

  また、Mさんが働くことになるM物産の社員の証言によると、「重要な接待では、我が部署伝統の宴会芸「男同士フェ○○○」が必須!新入社員にとっては、この荒芸が強烈なイニシエーションとなっているようだ」とあるし、「お姉さん」に対して甘え上手なYが選んだT海上の場合は「よく考えずに、商社から銀行からマスコミから、いわゆる就職偏差値の高い企業を片っ端から受けた結果、たまたま損保に入ることになったという例もちらほら見られる」とのことである(以上アイウエオ順)。

  これらはあくまで一例であるし、大げさに書かれた面もあろう。しかし、日本の企業の実態は多かれ少なかれこんなものであり、仕事や会社に対して美しくて過大な期待を描くのには無理がある。にもかかわらず、たいていの人は、こうした事を知りながらも「日本の経済発展を促す一人のマンパワーとなることができれば幸いである」などとのたまい、こうした企業社会に順応することを誇りにさえしている。こはいかに!?(←これはどうしたことであろうか)

2.晴天を誉めるなら夕暮れを待て

  こうしたことに対しては、理論好きの人ならば、すぐさま「お金のためだ」 と答えるかもしれない。確かに、生活していくためにはお金が必要だし、「ベンツに乗る」ことを将来の目標にしている経済学部生がいることを勘案すれば、この古典的な解釈もあながち否定できない。しかし、これだけが目的であるなら、別に企業に就職して死ぬほど働かされなくても、アルバイトだけで食っていくことはできる。実際「フリーター」なる人たちは、そういう輩なのだ。

  では、地位や名誉のためであろうか。これについても、中には「社長になる」とか「天下を獲る」とか言う人がいるし、豊かさの必要条件としてこの2つをあげたゼミテンもいたから、一理あることは間違いない。そして、有名企業に就職すれば、こうした欲求もある程度は満たされるから、有力な説明にはなる。だが、皆が皆必死になってどこかに就職しようとしている現状を考えると、やはりこれだけでは、説明としては不十分であると言わざるを得ない。

  ならば「自己実現」かと言うと、これもピンと来ない。「仕事が楽しくて仕方ない」とか「仕事が生き甲斐」と言う人が多いのも事実であるが、これは他に楽しみがないためかもしれない。それに、この考え方に従うと、過労死した人というのは「最も幸運な人」となりかねないのだ。

  こう考えると、結局(強引かもしれないが)大部分の人は、世間体を気にして就職しているようである。言ってみりゃ「赤信号みんなで渡れば怖くない」のだ。実際、就職活動中の人たちを見ると、最初は何か自分なりの夢や希望を もって活動していても、活動が切迫してくるにつれて甘いことばかり言っていられなくなり、結果的に就職することが自己目的化してしまっている。そして「とりあえず会社人間にでもなるかな。次はそれから‥‥」と会社の論理に迎合したり、現実なんてこんなもんさ、とわかったようなことを自分に言い聞かせて妥協しているのである。

  しかしながら、こうした現状追随型の思考で、果たして「豊かさ」を実感できるのだろうか。私に言わせれば、たとえ安定した生活が保障されていても、意味もなく馬車馬のように働かされるのであれば、あまりに哀しいと思う。かつて座右の銘として「晴天を誉めるなら夕暮れを待て」(本当は「晴天を誉めるには晩天を待て」)という言葉を紹介したが、これはまさにこうした態度を批判したものなのである。

  この言葉については、中学時代顕微鏡に凝っていたS本氏より年賀状でリクエストがあった(2年連続の名簿ネタであった)ので、ここでごく簡単に説明しておこう。まず「晴天」と「夕暮れ(晩天)」は人生を1日に例えた時の比喩であるから、「晴天」は人生の中でも最も輝いている時であり、「夕暮れ」はそれからしばらく経った時、つまり晩年のことである。そこでこの言葉を解釈すると、輝いている時期を祝うのであれば、その時期にではなく、晩年になってからにしましょう、ということになる。そしてこれが転じて、現状に甘んじることなく、精一杯前向きに生きていこう、ということを意味しているのだ。

  ちょっとわかりにくいかもしれないので、具体例をあげると、オリンピックで最年少金メダリストになったからといって「今まで生きてきた中で一番幸せです」と現状に満足してしまっては、それから先伸び悩んでしまうので、引退してから懐かしむように自分を褒めることにして、それまでは現実に甘んずることなく、もっと上を目指して精進しなければいけませんよ、ということである(そう言えば、この言葉をシングルA面の曲名にしたアーティストもいたっけ)。

  ずいぶん長々と書いてしまったが、結局何が言いたかったかというと、企業社会で働くにしても、現実を盲目的に受容して企業の論理に洗脳されるのではなく、自分なりに冷静な視点を持ってボランタリーに仕事をしてほしい、ということだ。これを社会心理学的に言うなら、「同化」ではなく「異化」だ、ということになる。だから、このエッセイは挑戦的な内容ではあるが、サラ リーマンに対する同情と哀れみを述べているのでは決してなくて、むしろ(辛口に)励ましているのである。

3.見果てぬ夢

  とは言え、こんなことを書いても「どうせアイツは大学院に行って就職しないからこんなこと言えるんだよ」なんて言われそうである。事実、年賀状で「まぁ、あと5年くらい大学で勉強して、ムッツリすけべな女子大の講師になれるよう、がんばって下さい」などと短絡的な発想をしている大石恵好きの他学部生もいる。

  確かに、大学院というと、特に文系の場合は、5年間在籍して博士号を取得 し、そのまま教授へと昇進していく、というのが一般的なパターンである。一橋の大学院もこうした例に漏れない。しかし、今回私が進学する慶應義塾大学湘南藤沢キャンパス(SFC)にある大学院政策・メディア研究科(修士課程)の場合は、“高度な職業人”の養成を主目的とする、新しいタイプの大学院なのである。そのため、募集人員は150名と極端に多くなっている(ちなみに、1996年度より新設された、研究者・教育者・専門家の養成を主目的とする博士課程は30名)。だから、今回のテーマは、2年後の自分自身に対する戒めでもあるのだ。

  それに、私には壮大な夢がある。もちろんこれは「ベンツに乗る」とか「スーパーサイヤ人」になるといった類のものではなく、かなりの時間と経費と労力、それにチャレンジ精神が必要とされるものである。おそらく、20~30年、場合によっては 50年くらいかかるかもしれない。しかし、ここではあえてそれを書いたりはしない。虎舞竜が「ロード」を切り売りしているように、これから徐々に発表していくつもりである。しかし、どうしても知りたいという欲張りな人は、11月1日付けのN新聞を見れば、ある程度察しがつくだろう(でも挫折するかもしれないのであしからず)。

  ともあれ、この3月で2年間お世話になった加藤教授やゼミテンともお別れである。果たしてここでの主張がどれほど受け入れられるのか、1年後のみんなと2年後の自分の変わり様を楽しみにして、この論稿を終えることにしたい。

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