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五輪館
毒語館独白の世界

[1999.12]

独白の世界

犠己的な遺伝子

1.もてない男

  もう1年近く前の話になるが、何気なく本屋で立ち読みしていたら、偶然見つけて、思わず衝動買いしてしまった本があった。その名も『もてない男』(ちくま新書)。私は普段ほとんど衝動買いなどしないが、この本があまりに私のことを言い当てているような気がして、すぐさま買ってしまったのだ。同じような思いを抱く人が多かったのか、それともただ面白おかしく読まれたのかは定かではないが、これがまさかベストセラーになるほど売れるとは、正直当時は思いもしなかった。

  しかし、こんなことを書くと、お茶らけた人たちは、「また冗談を言って」とか「本当はもてるんじゃないの」とか、全く根拠のない妄言を吐いたりする。そんな人たちにいちいち弁明するつもりはないが、私には最近流行りのカリスマ性など皆無であるし、大人気ドラマ「ショムニ」の名ゼリフ「女の価値は男の数で決まる」に倣って、その逆もまた真とするなら、私には男の価値がないということになる。さらに言えば、私の場合、より正確には「もてない」うえに「もてようとも思わない」から、もう救いようのない状態である。

  では、なぜそんなことになるのか。それを以下に記していこう。

2.人見知り

  まず、私は幼少の頃から友達付き合いが大の苦手で、人見知りをする質である。別に特定の個人がどうこうということではなく、単純に人間関係の構築が得意ではないのだ。今でこそ表面上は適当にこなしているように思われるかもしれないが、何につけ性格上一定の距離を置いてしまうため、真に心の許せる友などは存在いない。

  しかも、会話はそれにも増して苦手である。こういう形で文章を書いていると、よくしゃべる人間なんだと勘違いされることもあるが、実際にはそれほどしゃべらず、素っ気なく、それでいていざしゃべるときつい言葉を連発する(これは毒語館を見ればわかるだろう)。よく「一言一言がきつい」とか「毒針のようだ」とか言われるが、これでは、話し掛けようと果敢に挑戦する無謀者もたじろがざるを得まい。

  そんな状況であるから、まして異性と話すとなると、別に悪いことをしているのでもなく、あくどいことを考えているわけでもないのだが、恥ずかしくて仕方がない。そうした光景を他人に見られていると思うだけでも、赤面してしまいかねないほどだ(「恋愛指数」というものがあるとすれば、おそらく今の小学生や幼稚園児にも劣るだろう)。だから、私は人と話す時(男女を問わず)、あまり目を合わさないようにしている。これは同僚(むろん男)などにもよく注意されるのだが、生まれつきの性癖なので、仕方ないのだと諦めてもらうより他にない。

3.一人好き

  それでいて、昔から一人で行動するのが好きである。これは、兄姉と8~10歳も離れており、一人で遊んだり留守番したりすることが多かったという家庭環境の影響も大きい(実際、小学校低学年の頃、よく一人で留守番をしていた記憶がある)。

  そのため、旅をするのも小学校以来(修学旅行などの決められた旅行を除いて)ほとんど一人であるし、勉強するのも、図書館でみんなとじゃれあいながら行ったりせず、家などで一人で行う子であった(もっとも、勉強自体そんなにやっていなかったが…)。それを未だに引きずって、オフィス環境にも慣れていない有様である(逆に言うと、よくあんな雑然&騒然とした空間で、皆集中して仕事の効率を上げられるものだと感心する、いや、むしろ尊敬の念さえ抱く)。

  それに、誰かと一緒に事を行うということが、基本的には面倒くさいと思ってしまうところがある。信長・秀吉・家康の故事に倣って説明すれば、私の場合「鳴かぬなら 鳴くに及ばず ホトトギス」という感じなので、交渉やら談合やらに時間を割きたくはなく、それなら自分でやってしまった方が早い、と考えてしまうのだ(相手がはじめから納得済なら良いのだが…)。

  我ながら、明らかに他人との接点を持たないように行動しているが、問題はそれだけではない。もっと深刻な、根本的な問題があるのだ。

4.真の愛?

  そもそも、私は同世代の男どもに比べて、明らかに異性に興味を抱かない、去勢されたような人間である(だからといって、同性に走るといったこともない)。ナンパも合コンもしたことはないし、翻ってみても小中学生の頃からそういう性格であった。当時、すなわち80年代はアイドル全盛期であったが、その追っかけらしき人たちの声援(「○○ちゃ~ん!」とかいうやつ)をテレビで見て、私は子供ながらに、この人たち良くやるなぁ、と冷めた目で見ていたし(この種の人たちは、その後絶滅寸前まで追い詰められたが、最近になってSPEEDやらモーニング娘やらの声援隊として復活しつつある)、最近でも、所用で幕張等に行くと「イベントガール」なる破廉恥な集団を見かけるが、これも私にとっては目の保養どころではなく、あんな格好して恥ずかしくないのか、と哀れにすら思ってしまう。

  そのうえ、私は自分自身に対して異常なほど(?)自己嫌悪感を抱いている。よく「自分が好きでなければ他人を愛せない」というが、それは確かに一面で真理だと思う。私の場合も、仮に好きな相手がいたとしても、自分自身が愚かで醜い存在だと認知しているがゆえに、私は相手にふさわしい人間ではない、他をあたって幸せになってもらおう、それが何よりだ、と考えるのだ。これは当然、思いが強いほど強固な意識となって現れ、あっという間に大きな壁が構築されるのである。

  こうした行動は、相手を思えばこそ出てくるものなのだ。いみじくも「北斗の拳」の後半で、成長したバットが言っているように、奪う愛ばかりでなく「見守る愛もある」のである。だから、よく「本当に好きなら奪ってでも成就させるべきだ」とかいう恋に恋している連中がいるが、これは自己愛を正当化するための屁理屈に過ぎず、私には受け入れられない。本当に相手を対等な自立した個人として捉え、幸せになってほしいと願うなら、まず相手の意思を尊重するべきであり、次に自分自身がどうかとなるはずだ。自己愛偏者はそれを逆転し、自分自身は最高と考えているから始末に終えない(その際たるものがストーカーである)。この種の欲望が資本主義を発展させ、社会の進展に貢献していることは否定しないが、見せ掛けの愛ばかりが氾濫する時代に辟易する思いである。

  さらに付け加えると、一口に愛といっても、一組(別に複数でもいいが)の男女の恋愛物語には興味がない。そんなことはどうでも良いことであり、それをワイドショーで騒いだり、トレンディードラマでくさい芝居を演じたりされると、本当に虫唾が走る思いだ。本来、愛とはそんな矮小化されたものではなく、「人間愛」「人類愛」(フィランソロピーの直訳)などといった普遍的なものであるはずだが、そうしたものは流行らないのか、一般に言われたりはしない。私は後者のようなものであれば理解できるが、恋に恋するような愛は真っ平御免である。

  そんなんじゃ駄目だ、と考える人もいるだろう。環境ホルモンに犯されてしまっている、などと言う人もいるかもしれない。たいていは生理的に拒否反応を示しているに過ぎないのだが、中には何とかしなくては、などと余計なおせっかいを焼こうとする輩もいる。しかし、心配ご無用。私の場合は全然寂しくはなく、むしろ快適ですらある。それに、そもそも人は恋愛をしなければならない、などと考えているとしたら、それこそ『もてない男』の著者が言うように、現代最大の宗教「恋愛教」に洗脳されているのである。

5.犠己か利己か

  そんな調子だから、私は自分の愚かな遺伝子を後世に遺そうなどとは思わない。これは、別に子供が嫌いだからではなく(むしろ子供自体はかわいいものだと思う)、自分の遺伝子を遺しては後世の人間社会にとって問題だと思うからである(そういう意味では、「リング」「らせん」などで活躍している貞子の思いとは正反対である)。「利己的な遺伝子」などと表現され、遺伝子は自らを生き長らえさせるために肉体を操作しているという説があるが、私の場合は遺伝子に操作されるほどヤワではないのだ。

  しかし、その半面で、この世に生を授かった理由(すなわち、自己存在証明)を見つけたいという気持ちはある。なぜこんな駄目人間が生まれてきたのか、そこにも何らかの意味があるはずだと…別に神の思し召しなどというつもりはないが、「天邪鬼」ゆえ、自らの愚かさや他人からの批判をバネに換えて、己を犠牲にすることで、最終的に他人、ひいては社会に何らかの形で役立つものがあるはずだ、と信じて今を生きていると言っても過言ではない(逆に言えば、万一万人から認められるようなことになったら、生きる意味を見失い、死を選ぶことにもなりかねない?)。

  だが、これも難しいもので、当人にとっては犠己的・利他的な振る舞いのつもりでも、「人間の遺伝子」(ヒトゲノム)という枠組みで考えれば、愚かな遺伝子を排除し優秀な遺伝子を後世に残すと言う意味で、立派な利己的な振る舞いなのかもしれない。こう考えてしまうと、何が利己で、何が利他・犠己なのかわからなくなってくるが、少なくとも個人的には、遺伝子に支配されるような生き方はしたくないものである。

  今、ヒトゲノムの解析は急速に進められており、それらのメカニズムも徐々にわかってくるであろう。だが、私のように恋愛も結婚も子作りもしないような「非国民」が増えると、人類にとって不幸なことだろうから、同一人種がこれ以上増えないことを願うばかりである。が、とりあえずはこういう人間もいるのだということを認めておいていただければ、何よりの幸いである。

  これを、私の千年代最後の戯言だと片付ける人もいるだろう。それはそれでいっこうに構わないが、鵜呑みにするかどうかは別として、これを自分自身の問題に照らして考えてみるのは決して悪いことではないと思う。果たして、周りが皆しているからといって、何となく働いて、恋愛して、結婚して、家族を持って、子供を産んで…という生活が本当に良いことなのか、と(愚痴をこぼす「経験者」のなんと多いことか!)。

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